乳児期の傷が癒やされていく〜私は世界にウエルカムされている〜
私がセラピーを学ぶプロセスで、目から鱗、みたいなことはたくさんありましたが、中でも、乳児期、要は生まれて間もない赤ちゃんのときにすでに傷ついていた、という事実には、衝撃を受けました。
乳児期に傷がついているか、の設問にはじめて応えたとき、YESの数が多いのにびっくりすると同時に、理由なく、私には価値がない、とか、何か負の体験があると死にたくなっていたこと、摂取性の中毒症状があったこと、あらゆる、どうして私はこうなるんだろう??という、今までの謎が、はっきりとされたようで、ある意味ホッとしたようなところもありました。
そんなプロセスを踏むなか、私はまず、今の夫と再婚したことで、無条件の賞賛、歓迎をはじめて経験し、失っていた父性を取り戻し、私は守られている、という安心、というものを知りました。
私があんなにもビクビクしながら生きていたのは、この守られている安心感、を体感したことがなかったからだ、と、手に入れてこそ、余計に理解するようになりました。
これを乳児期から体感できていたら、どれほど、私はもっと堂々と、社会に出ていかれていたことかと嘆き、長い間、自己肯定感高く生きてきた人たちに、羨望の眼差しを向けていたことも、数知れずありました。
いまだ、その嘆きはない、とは言えません。
が、本当に少しずつ、少しずつ、ゆっくりと薄皮を剥がすように、ダメな自分、何もできない自分、価値がない自分、という、べたりと貼られていた自分のアイデンティティが、気づけばいつのまにか剥がれ落ちていっている、という現象が、セラピープロセスで起きていました。
でも、まだまだ癒されていない部分もあり、自己不一致から体調不良にもなります。
そんななか、昨日、久しぶりに教会に行き、賛美歌を歌っているだけで、溢れるように涙が出て、人前でどうしよー、と思いながらも止められませんでした。
私のまだ傷ついている部分が癒やされている、と確信しました。
賛美歌や聖書の言葉からのメッセージは、いかに深く、神が愛してくださっているか、になると感じています。
まだ傷ついている私の中の何かが、全面的に私は愛されている、この世界にウエルカムされている、をその時体感したのだと感じます。
私が1番好きな聖書の言葉です。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。
イザヤ書43章4節
はじめてこの言葉に出会ったとき、
私が高価で尊いなんて思えない!!と、反発しながら、でも、もしかしたら、私はものすごい価値があるのかもしれない、と、恐る恐る思ったことを昨日のような思い出します。
この世界に私はウエルカムされている、という感覚。
まだ、足りない、と思う方も大丈夫。
自分でケアし、満たしていくことができます。
私もまだその途上にいます。
一緒にゆっくり、楽しみながらやっていきましょう。
必ず、ケアの効果はあります。
でないと私は今、こんなに堂々と発信しよう!伝えたい!と思えていないでしょう(笑)