light of love
今まで私が書いた有料記事になります。
読んでいて心を掴まれる記事。そのときどきで共鳴したり、深く新呼吸をしたり、自分では見出せなかったことが美しく言語化されていたり。 何か新しい出会いと感じた記事を、シェアさせていただきます。 NGな方はお手数をおかけいたしますが、お申し出ください。
内観、カウンセリグ、各種セラピー、星読み 、ヨガとヨガ哲学。 そして、最終的に奇跡のコースの教えにドハ マりした私が、セラピーともカウンセリング ともひと味違う、ただ心を使う、愛を分かち 合うセッションをはじめます。 いろいろ学んできた私が今感じていることは、 ただ愛だけでそこに一緒にいる対話がしたい、 と思いました。 手段も目的も、愛を分かち合うこと、 ただこれだけです。 いろいろ学んでいくほどに、 成長しないといけない、 いろいろやれるようにならないといけない、
これは、リサ・ニコルズ(Lisa Nichols)いう方の言葉です。 「あなた自身であるために他の人からの許可を待ってはいけない」(Don't Wait for Permission From Others to Be Yourself ) これは、とても大切な言葉です。 私はまさに、かつて他人からの許可をいつも待っている子どもで、そのまま大人になりました。 小さな頃は祖父母、親、兄弟、先生から。 大人になった今でさえ! 無意識に、夫など他者の許可を待っていることがあ
先週末、バンコクの藤井風のライブに行ってきました。 が、直前まで行けない( ; ; )と思っていました。 チケットは夫がサイトから注文し、バンコクの友人宅に郵送の手配をしていたのですが、なんと、夫は宛先の住所だけ書いて名前を書き忘れていたのです!! しかも住所まで微妙に間違えていて。 マンションは、たくさんの方が住んでいる集合住宅です。 しかも住所まで間違っている! もう、無理だ、残念だけれどこれは行かれない、と思っていました。 が、友人が仕事で多忙ななか、時
今日は満月です。 満月は一般的に手放しをするといい、と言われていますが、私はまさにこの時期に手放すことがありました。 ここ何年か向き合ってきたことに、機能不全家族のなかで培ってきた、自分の生きづらい生き方の見直しがありました。 1歩進んで2歩下がる、を繰り返しながら、螺旋階段をのぼるように、癒しが進むと緩やかに今まで観えていた景色が変わっていきました。 それでも、原家族との繋がりで、離れたりくっついたり、試行錯誤を繰り返していました。 瞑想をしたり、ヨガをしたり、様
「投影」とは何と巧みなのか! と最近つくづく感じています。 (心理学でいう投影とは、自分の感情が「相手にある」と思うことです。) 自分のしてきた「投影」を真剣にあげ考えていけば、誰もが自分のやってきたことを直視しがたいと感じます。 例えば、私はかつて自分自身が母親と共依存だと感じていて、そのことを恥に思いながらやめられないとき、母子癒着をしている親子関係にある人をどこかで軽蔑する、というようなことを無意識にしていました。 自分自身が受け入れることができず、恥に感じて
先月、私は夫にとても不満を持っていた時期がありました。 が、よくよく内観して観ていけば、まるで自作自演だった!!と気づきました。 この世界は自分が見たいように見ている のでした。 以前こちらの記事でも書きました。 私の心のなかには、 「私は愛されるに値しない」 「私は欠けている」 「何か頑張っていないと許されない」 そんな罪の意識が奥底にあって、その傷を触発されるような現象(夫の言動、行動が愛からに見えないと感じられたとき)に遭遇すると、それきた!とばかりに私は
最近こちらのブログが滞っていました。 先月からこちらの大好きなnoteで別アカウントを作り、そちらを書き出したらとても面白くなり、こちらのブログがすっかり疎かになりました。 私はすべてにおいて、同時並行が苦手で、メリットはひとつのことに深く入り込めるのですが、デメリットは視野が狭く、ひとつに執われやすくなります。 分かってはいても頭の理解だけでは無意識にやってしまうので、ヨガで身体からアプローチすることによって、頭を、心を、静かに凪の状態にさせ、執われからなるべく離れら
第42課 神は自分の力 洞察力は神の賜物である 神は実際にあなたの力であり、神が授けてくださるものは本当に与えられている。これは、あなたがどこにいようと、どんな事態に陥っていようと、いつでもどこでもそれを受け取ることができるという意味である。 『奇跡の道 田中百合子訳』
第40課 「自分は神の子として祝福されている。」 自分は神の子として祝福されている。 自分は幸せであり、平安であり、愛に満ちており、満足している。 落ち着いているし、穏やかであり、安心しているし、自信がある。 『奇跡の道 田中百合子訳』
第38課 「自分の神聖さをもって成し得ないことは何もない。」 あなたの神聖さはすべての苦痛を取り除けるし、すべての悲しみを終わらせられるし、すべての問題を解決できる。自分自身に関すること、並びにほかの誰かに関することで、そうすることができる。 『奇跡の道 田中百合子訳』
第37課 「自分の神聖さがこの世界を祝福する」 あなたの神聖さはその人から何ひとつ欲求することなく、その人を祝福する。 自分自身を完全だと見なすものたちはなんの欲求もしないのである。 『奇跡の道 田中百合子』
第36課 「自分の神聖さが自分の見ているすべてのものを包んでいる。」 あなたの視覚は神の神聖さに関連があるのであって、あなたの自我に関連があるのではない、したがってあなたのからだとは関係がないのである。 『奇跡の道 田中百合子訳』
私は奇跡のコースを学んでいますが、『奇跡の道』の本を読んでいると、 自分は自分のみている世界の被害者ではない。 自分のみている世界は自分がでっち上げた。 などの言葉が出てきます。 それをヨガをしている方に話したら、 「私は被害者ではない。」と唱えたところで身体はついてこないから変わらない、と言っていました。 ヨガはまず身体からのアプローチで、心もそして現実も変えていくという感じなので、そう言うのは理解ができます。 が、実際には 「自分は自分のみている世界の被害
暑さも和らいできた頃から、私にしては(自分比)、ものすごい片付けが捗るようになりました。 3年前に今の家に住むようになってから、あれよあれよという間に要らないものが増えていて、ちゃんと片付けないと、という意識はあるものの、なかなか捗りませんでした。 夫は買い物が大好きで、日々何かを持ち帰って増えていく。 数年前に夫と再婚する前、私はミニマムな生活を実践していました。 そもそも稼ぎもよくない上、物より体験(学びへの投資の優先順位が高かった)に使いたい、自分がエネルギーを
最近、私が癒されてきたのか、以前より堂々としていられるようなときが増えてきているかも、と感じます。 本来人はみな孤独なのですが、「友達100人できるかな?」の歌を歌って育ったせいか(笑)、たくさんの人と繋がっていること、家族が繋がり、囲まれていることが良しとされる、と思い込んできたように感じます。 そして、大多数の人の人生の過ごし方が正解、のように思い込んできたようにも感じています。 が、今の私は夫がずっと出張続きだったりで、独りの時間が長くても、孤独を満たせていて、独
生きづらい、という言葉が最近、ずいぶん一般的になってきたなあと、いろいろな方のnoteや書籍を読んでいて深く感じることがあります。 私は10代の頃から生きづらさを感じてきていたため、自分のような人は、 ものすごい少数派、 変わった人、 一般的、の部類に入らない人、 なんだろう、とかつては自分を卑下し自分を小さく感じて生きていました。 ですから、 自分軸でいきましょう、 自分を愛しましょう、 自己犠牲を手放しましょう、 他人の目を気にしないようにしましょう、 自分を責