本音には愛がある。
先日書いたこちらのパートナーシップの6つのサイクルの記事。
ありがたいことにご購入いただいており、そこで昨日起きたパートナーとの出来事で気づいた、大切なことを書き綴ります。
出張から帰国した夫が昨日の朝、
「今日も夜は何時になるか分からない。あっ、明日朝がすごい早いから、今日は現場近くのホテル空いてたら泊まるかもしれない。」
朝「今日の夜ご飯いるの?」と私が聞いたあとに夫がおもむろに言い出したとき、
私は突然イラっとして、
「あっそう、いいよ、私も実家に泊まりにいくかもしれないから泊まってきて。」
と瞬間的に言い放っていました。
本当は全く実家に帰ろうとも、泊まろうとも思っていませんでしたが、咄嗟に出たのは自我(エゴ)の叫びから。
昨夜出張から帰ってきて、やっと夫と対面で話せると思ったばかりの今日に、日本にいるのに、都内にいるのに、また今日も泊まると夫が言い出すのは予想外!と感じた瞬間、私の口から出た言葉でした。
もう1人の夜ばかりは嫌!
寂しいのは嫌!
そういう内側の頼りなさげな弱々しいチャイルドの叫びが掻き消され、
「どうぞ、どうぞ、私も泊まりに行きますから。」
という言葉が出たのは、私が寂しいと本音を言ったら、寂しいと思っていない夫に私が負けてしまうという謎の自我の仕業。
夫(男性)に勝ちたい!
この謎の欲求が私のなかには結構あり、夫(男性)に勝ちたい!という、ジャイアンみたいなチャイルドが、たびたび顔を出します。
夫(男性)に怒っているジャイアンチャイルドが、
行け!行け!
こっちも好きにやってやるから、帰ってくんな!
上等だ!さっさと行け!
と高揚し、赤い顔して怒っている。
寂しがってめそめそしているチャイルドは、お腹のあたりでじっーと声をひそめているだけ、表には出てきません。
ジャイアンチャイルドが優勢なまま、ほとんど私は無視状態で夫を送り出し、きんぴら炒めを、作りながらYouTubeを見ていたとき、
物事のプラスの面を見ていないとき、自分がそういう波動だからそういう現象が外側にも起こるけれど、自分が物事のプラス面ばかり観ていると、自分の波動が変わるから、外側の現象も変わる、
という話しをしている吉岡純子さん、がいました。
あっ!無事に帰国し、夫が今目の前にいてくれたのに。私はクレクレ星人になってた!
そのことに感謝せず当たり前のことだと思い、他人に期待している、コントロールしようとするから怒りになるんだと気づき、すかさず、夫に謝りのLINEを入れました。
こちらこそ、あなたの気持ちをもっと受け止めらるようにします、今日は帰ります、と夫からの返事。
自我から、傷ついたチャイルドが咄嗟に言葉を出してしまっても、すぐに謝って修正し波動を変えれば大丈夫、を昨日は朝から体験しました。
傷ついた心から発した言葉でも、気づいた時点ですぐ行動して修正すれば大丈夫なのは、愛から動いているからで、そこには精霊が働いてくれているからなんだと感じます。
私は本音って、愛からきていることが多いのではないか、と感じています。
なんであの人はああなの?!
と、自分の想定外の行動をとる人や価値観が違う人に怒るとき、私たちはそうでなかったら愛せるのに、本当は愛したいのに、そうだと愛せない!(と自我が思っているだけだけれど)
と本音は愛したいからこそ怒りになり、人のなかにあるのは愛したいしか本当はないのではないか、と感じます。
そんなことをするあなたは愛せない、
そんなことを言うあなたは愛せない、
と目の前の現象にフォーカスをしてごちゃごちゃ言っているだけでしかなく。
本当はその人の本質だけにフォーカスしていたら愛せる。
だってもう散々傷ついてきたから、傷つかなさそうな条件が揃っていないと、人を愛するのが怖い。
愛することへの恐れ。
私自身を振り返り、私がその人を愛せない、と思うとき、そう思う前にこの人は私を愛していない、と感じるきっかけがあったあと、その人を愛せなくなる、と感じてきました。
要はそれ以上傷つきたくないからもう私も愛さないで離れるね、と。
私が人並み以上に人を愛したい人なのかよくわかりませんが、私は自発的に私発でこの人は愛せない!となる経験は少ない印象があります。
このあたり、いろんな人の意見を聞いてみないと分かりませんが、共感しやすい私は人を愛しやすいのかもしれません。
今日は本音にこそ本当は愛があるんだ、だから表面に咄嗟に出そうになる自我(エゴ)の声より、そちらの声を感じ取れるよう、繊細に耳を澄ませたいと思ったので、そのことを書き綴りました。
お読みいただきありがとうございます。