母の誕生日にプレゼントを贈らない、はじめての私の誕生日
明日は母の誕生日ですが、今年はじめて母に誕生日プレゼントを贈らない、という選択をしました。
物心ついたときから、母の誕生日には、一生懸命にプレゼントを何にするか考え、手間と時間をかけ、大人になればよりいい物をと、プレゼントを贈ってきていました。
ここにくるまで、私は、母にしていただいたことは山のようにあります。
当然、感謝もあります。
が、思春期からはじまった摂食障害、30歳で寛解し、症状が無くなってからも苦しんできた私の体調不良、生きづらさは、原家族、なかでも母との関係が大きく影響しています。
その生きづらさ、体調不良を解消したい、とセラピーを学び、受け、プロセスしていけばいくほどに、私は母子癒着、母と同一化を起こし、そして、母こそ私の子どもになっていたこと。
それこそが私の大きな葛藤と混乱になっていたことに、気づいていきました。
そうした母と関わると、母は今でも私の子どもになり、無意識に自分を守るために、子どもの私を自分の盾にしていることに、私自身が気づきます。
そんな母を、私はまだ本当にはゆるせていません。
本当は、私は長い間、葛藤しながら、母を喜ばせて愛が欲しいからこそ、母を、助けてきていたのかもしれません。
いつも、母をまっすぐには思えない自分を感じていましたが、それは私自身が、すべてに持っている恥や罪悪感だと思ってきていました。
生まれながらに恥や罪悪感でいっぱいの子どもはいません。
それは、残念な事実ですが、親から与えられるべき愛が健全ではなかった、子どもが傷つけられてきていた証、になります。
それら自分に起きていた真実が分かった今、はじめて、自分の気持ちに不一致を起こしてまで、母を喜ばせようとしなくていい、という選択をしています。
逆に、今感じているのは、どれだけ母を喜ばせることに必死だったか、という自分のかつての姿です。
母を喜ばせるよりも、自分の気持ちを1番大切にしたい、と思える自分に、誇りと強さを感じています。
機能不全家族で育ち、親を助けることが自分の人生の目的になっていた、かつての私のような人たちに、自分を1番に大切にしていい、という言葉を贈りたい。
例え、他の家族のメンバーが不幸であっても自分だけが幸せになっていい、と考えられることが、どれほど自分を生きやすく、自分の人生をはじめて生きれるようになるか、をお伝えしたくて書きました。
今、私は幸せです。
たくさんの機能不全家族育ちの方が、自分だけ幸せになってもいい、を自分に許可できるよう、心から祈っています。