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親を切り離してはじめてパートナーと盤石なタッグが組める。

最近自分の感覚として、親を切り離してはじめて私たちは、本当の自分の人生を生き、パートナーと本気で向かい合う、と感じています。


私たち夫婦は中年の再婚夫婦ですが、夫も私も再婚当時はお互いに自分の親を助けて生きていました。


それは無意識に、です。

が、私は4年ほど前からセラピーを学びはじめていたので、夫の母に会ったときはすぐに、子どもへの癒着が激しい人だな、と感じました。


また私自身が長い間母子癒着に苦しんでいたので、親と無意識にやっていた関係を、意識的に捉えるようになったものの、本当に親を自分の意識の中で切っていく、はできないでいました。

それがセラピーが進み、深く自分に何が起きていたのかを観て、傷や痛みを癒していくうち、私が私の人生を生きていくには、親を助けるのをやめないといけない、あるとき強く決意しました。


それによる影響や痛みがあったとしても、自分の本当の人生を手に入れることを優先し、それらを引き受けていこう、と覚悟した時期がありました。


それから親と距離を置き、だんだんと意識の上でも遠い存在になっていきました。


かつては親とは敬語を話さず、身内ならではのお互いに甘えていたところが、いつのまにか連絡のやり取りも敬語になり、なんでも話せる甘えた関係、ではなくなっていました。


こうなってはじめて、いかに、それまで親と近過ぎる関係であったか、と恐ろしくなりました。


親子と言っても、全く違う人間同士です。


なのに、親子、というだけでどれほど意識的にも無意識にも密であったか。


他人になら話さないことや期待しないことまで当たり前のように話して期待し合ってきたことか。

その代わりに何でも話し合い、密になったのが夫との関係でした。


親と距離を置けば置くほど、夫との関係が近づき絆が強くなっていました。


例えば、夫に不満があるとき、4年前の私は母や友達に漏らしていました。


今は夫に不満があるとき真っ先に夫に言います。

コミュニケーションをどううまくやっていくか、をいつも試行錯誤し、もっと上手くなりたい、と思っています。


親に話そうなどとは1ミリも思いません。


目の前の人に向かい合い、目の前の物事に向かい合う日々に母を思い出すことも、母からの連絡に心を揺さぶられることもなくなりました。


私が母を助けなくていい、
私が母を幸せにしなくていい、
母は母の人生、私は私の人生である。

この当たり前の事実をやっと掴んだからです。

今、なぜこれを書いたかと言うと、

この事実をこの日本では
あからさまに言うと、


自分を育ててくれた親なのに。
親の世話をしなくていいの?


など、親を助けて自分の人生を生きず、かつての私のように、親を助ける人生が自分の人生、かのような生き方を無意識にしている人があまりに多い、と感じるからです。


それは人に嫌われてもいい、という
勇気にも関わっている、と感じます。


誰の人生なのか?
他人に気を遣い、親や他人を助けることが
本当に自分の人生のあり方なのか?


じっくり考えていくともっと自分の
人生を輝かせて生きていける人が増える
と思えてなりません。


すべての人が自分の人生を優先し、
親よりも今目の前のパートナー、
今目の前のやるべきことに意識
を向けて生きれるよう祈っています。

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