「僕がイラストレーターになるまでの長く曲がりくねった道」 その②
この記事は昨日の続きです。
一瞬天国の光がかい間見えた
さて、中学時代に憧れたイラストレーターにもなれず、20代を無為に過ごし、僕は自分を疑った・・・
自分は一体何になりたいのだろう・・・と。
だが、30歳をとうに過ぎた或る日・・・
何を思ったか(情けないが理由をよく覚えていない、何といい加減なんだろう)僕は一大決心をする。
僕は、何と10年ぶりに漫画を描いた。
十代の最後に描いたような青年向けの漫画ではなく、昔大好きだった少年漫画を描いてみようと思ったのだ。
そして、完成した32ページの作品を小学館「少年ビックコミック(後の週刊ヤングサンデー)」の新人漫画賞に応募した。僕はその作品に自分なりに自信があったが、何しろ10年間漫画を描いた事がなく(^。^)💧、選ばれるのは数多くの応募作のうちの唯一篇なのだ。うまくいく保証などあろうはずも無かった。
だが、何という幸運!
この作品は1985年第10期コミックゼミナール新人賞を獲得し「少年ビックコミック」にも掲載される運びになった。
下がその時の作品「BOY・天(そら)高く」。
僕が生涯でたった一度だけ描いた少年漫画だ。
自分で言うのも変だけれど、僕は今でもこの作品が好きだ。自分が描いた数少ない漫画の中でも一番好きな作品だ。まるで夢のようで、本当に叫び出したいくらい嬉しかった。
実はこの受賞にはちょっとした裏話がある。
僕はこの作品を郵送ではなく編集部に持ち込んだ。
編集者の批評も対面で聞いてみたかったのだ。
現れた編集者は32ページの作品を読み終えるとこう言った。
それは、僕の思いもかけぬ言葉だった。些か自画自賛になるところもあるが、ご容赦頂き事実をありのままに記す。
編集者は読み終えるとこう言った。
「面白いです。次回の新人賞はこの作品に多分決まりでしょう。」
と。
僕は自分の耳を疑った。
そして、彼はこう付け足した。
「もちろん、これよりいい作品があればそちらになりますが、経験的に言って恐らくそれはないでしょう」
と。
僕は本当に編集部の椅子から飛び上がりたいくらいに嬉しかった。
持ち込んだその場でそんなことを言われると誰が思うだろう。
自分が描きたかった少年漫画を描き、それが報いられると言うのだ。
これ以外に編集者が何と言ったか・・「絵の個性が強すぎる」というようなことだったと思うが、よく覚えていない。もう、殆ど有頂天で上の空だったからだ・・・
だが、小学館を出て帰路に着く頃になると、この予想外の展開に僕は戸惑い始めた。
何故なら・・・
僕はこんな風に考えていたからだ。
作品を見た編集者は批評めいたことを口にして、「とりあえず預かるから誌面での発表を待って下さい」というような事を言う。
そして僕は結果をただ待つ。
ひたすら待ち侘びる。
ワクワクしたり、駄目でも落ち込まないように自分に言い聞かせたりして・・・数週間を過ごす・・・
それは、どんなにスリルに満ちた日々だろう・・・
僕は、そんなつもりでその日小学館に行ったのだった・・・・
だが、現実は全く違う方向に動いた。
僕はこの思いもかけぬ展開がもちろん嬉しかったが、反面肩透かしを喰らってしまったのだ。
『もちろん、これよりいい作品があればそちらになります』
編集者のその言葉が思い出され、それが不安にもなった。
『結局、僕以外の誰かが選ばれ、あえなく次点になってしまったら・・・』
そんな複雑な気持ちで僕は発表の日を待った。
それから暫くして賞の発表となり、幸にしてこの作品はつつがなく第10期新人賞を受賞した。編集者の予告通りに。
僕は発表号をみて、ホッと胸を撫で下ろし、そして喜んだ。
ちょっと経緯は自分の思うところとは違ったが、何にせよ授賞は僕にとって天にも昇るような嬉しい事だった。無為に過ごした20代を思えば込み上げるものもあった。泣けた。
そして、漫画家としての一歩を踏み出すはずだったのだが・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
諺に曰く・・・・
悪魔はあなたが一番幸福な時にあなたのそばに寄ってくる、、
この続きは、また明日「その3.更なる地獄へ落ちた30代」に続く・・・