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卒業アルバムを開けることができない元不登校児の思い

実家の押入れには、小中高の三冊の卒業アルバムが眠っている。
そのうち、たった一度しか開いたことがないアルバムがある。

それは、小学校の卒業アルバムだ。

今から三十年前。平成がはじまってすぐのことである。
小学校5年生の3学期から、私は学校へ行けなくなった。

再び学校へ通い始めたのは、その約1年後。
つまり、6年生の3学期の始業式だった。

再び通いはじめたけど、針のむしろのような日々。
腫れものに触るかのように接してくる級友たち。

そんな中、ある日先生に1人だけ呼ばれた。
そして、校庭の片隅に連れられ、1人だけで写真を撮られた。
その日を鮮明に覚えている。

その写真は、卒業アルバム用の写真だった。
級友たちは、一足先の2学期にクラスの全体写真を撮り終えていたから、私だけのために、近所の写真館のカメラマンが来てくれたのだ。

そして、小学校を卒業した。

中学に入学してから数か月後。
ついこのあいだまで通っていた小学校へ、出来上がった卒業アルバムを受け取りにいく日。進んでいきたいわけでなかったが、私も取りにいった。

卒業アルバムを受け取った後、級友たちは皆、その場で中を開けた。
私も同じようにした。

 言葉がでなかった・・・

6年3組のクラス全体の集合写真。
みんなが楽しそうな写っている写真の中、右上に小さな枠。

その小さな枠の中に、自分の顔を見つけた。

明らかに級友たちとは季節が異なる服装
そして、まるで死んだかのように疎外感を感じさせる小さな枠

心が引きちぎられた。まるで、心から赤い血がしたたり落ちるように感じた。

小さな枠の中の自分の姿が、醜い、醜くてたまらない。本当に醜い。

そして、この集合写真以外のページにも自分の姿はない。
修学旅行、運動会、遠泳大会・・・どれも参加していないのだから。

先生は想像できなかったのだろうか。

卒業した数か月後に私が卒業アルバムを開けた時、集合写真の片隅に死んだ生徒のように疎外された自分の姿を見ることを・・・。

こんな仕打ちを受けるならば、このアルバムに自分の姿が1か所も出てこない方がよかった。

もう見たくない。すぐに卒業アルバムを閉じた。

これが最後に小学校のアルバムを開いた記憶。
今から約三十年前のこと。

それから中学や高校で、「小学校時代の卒業アルバムを見せてよ!」と幾度か言われた。
その時はきまって「押入れの奥に入れて、どこにあるか分からない」と、笑いながら答えた。心がザワザワした。

それだけではない。
同じ小学校出身の子が卒業アルバムを持ってきた、私の黒い過去を知らない人に見せないか、ビクビクして過ごした。

結婚式で流すビデオの中でも、中学校や高校の卒業アルバムの写真は使ったけど、小学校の卒業アルバムは押入れから出すことさえもしなかった。

自分の中から、小学校の思い出は消したのだ。

年を取ると、昔が懐かしくなるという。
いま四十代を迎え、「その卒業アルバムを見てみたいか?」と問われたら、間違いなくこのように答える。

 「見たくないし、見せないで欲しい・・・」

今も、私の中では登校拒否は終わっていない・・・