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私はあなたを悔いなく愛したい


あの夜のことを思い出すとまだ少し胸が痛むけど、
それでも少しは大丈夫になったみたいだ。

字幕がついて、明日はお休みだからと意を決して2度目の再生を決めた防弾会食。
たくさん考えて、考えて、考えた二週間という時間のおかげか、なんだか今日は「健康的」に見られた気がする。
そうしてあの夜のことを思い出したりもしながら、アミ日記を書いてみようと思う。



正直あの夜、私にあった感情は、「寂しい」とか「悲しい」とか、簡単にいえばそんなもので、本当にありえないくらい泣いてしまった。(『理解してくれたら嬉しい』という言葉を忘れて、なぜかとても後ろ向きになっていたこと、今思うと少し恥ずかしいけれど、正直切実に寂しかった)



あの日の前日、私はnoteにこんなことをかいた。

どうかより傷つかなくて、確かに幸せになれる道を行ってほしい。どうかあなたが幸せを得られる場所で、どうかどうか幸せでいてほしい。

これは本当に本当で、濁りなく私が望んでいることだった。
彼らが彼らの幸せのために進むと決めた道に、たとえ私たちがいなくてもそのときは大丈夫だと思っていた。
はずなのに、それなのに、決して前向きじゃない気持ちを抱えてたくさん泣いてしまった自分のことがなんだか情けなくて、「昨日かいた言葉たちは、いつもある思いたちは、本当に本当に噓じゃなかった。本当の気持ちであり心からの願いだった。」
なんてことを、笑えるけど必死に唱えていた。


解散でもなければ活動休止でもない、これは「健康的なプラン」だとお話してくれたのに、まるで何かが終わって、消えてなくなってしまうかのように感じた。
私も私の心のなかがよく分からないけれど、少し怖かったのかもしれない。(なんせあの夜はひどく悲観的になってしまっていた)

会食が終わったくらいの時間にテヒョンさんがweverseにきてくれた。

7人みんな違うことは多くても、アミへの気持ちは同じなこと
10年間、いつも上を向いて進むことが怖かったこと
チームの為に自分自身を諦めなければならなかったこと
幸せを感じても、それだけではなかったこと
自分たちが踏み出した一歩をアミは喜んでくれると信じてくれていること

テヒョンさんはそのお手紙の中で、感じていたことや思っていることをまっすぐ伝えてくれていた。
そんな彼に、彼らに、「本当にごめんね、本当にありがとう」って、ふたつの気持ちがどばどばと溢れて、苦しくて苦しくて、もう本当に苦しかった。

ごめんねって言葉が欲しくて胸の内を教えてくれたわけじゃないと思っても、「この愛が、言葉たちが、彼らに重い荷物を背負わせていたのではないか」、一度そう考えてしまったらきりがなかった。ごめんねって気持ちが押し寄せてきて仕方がなかった。


それでも今日改めて会食をみて、大切な彼らの大切な言葉たちにきちんと触れて「ごめんね」よりも強く思ったのは、「ずっと、こんなにもまっすぐにたくさん愛してくれて本当にありがとう」ということだった。

最高の瞬間はまだ来ていないけれど、今7人がいる場所は高く、この決断はいずれする当然のものだったとしても、簡単ではなかったかもしれないと思う。
それでも、より永く ''バンタン'' でいるために通るべき道を行くと決めた彼らに、今は何よりも「ありがとう」と言いたい。


もし、7人に出会っていなかったら。
それでもきっと、私のライフはゴーズオンしていた。
たぶん、弱音を吐きながらでも泣きながらでもなんでも、なんとか毎日耐えて、一生懸命に生きて、自分の人生を大切に育てようとしていたと思う。

でも、もし7人に出会っていなかったら、
私の大切な人生を構成する一瞬一瞬が、今よりももっと暗いものになっていただろうな。きっともっと色がなく、悲観的にもなって、八方塞がりの中で一筋の光を探す気力も起きずに苦しんでいただろうと思うな。
7人は私の毎日にときめきをくれる。
私の時間を生き返らせてくれる。
明日と仲良くなろうとする一番の理由こそが7人だ。
私は7人に出会うことができて本当によかった。
私の人生に来てくれて、海に、光に、たくさんの意味になってくれて、本当に心から感謝している。

と言いつつも、正直あの日から「これも、だいすきな彼らを苦しめてしまうかもしれない」という考えが浮かんできてしまったりする。
でももう、そんなふうには思わないようにしようと思う。
だって彼らは、私がまさに伝えたいことと同じことを話し、伝えてくれるから。
私が嬉しいと感じることは、きっと彼らも嬉しいと感じてくれるのではないかと思う。
私は彼らから、「自分は愛されているのだということを知ってくれていることが、愛する側のひとにとってどれだけ嬉しいか」を教わった。
だから私はこれから、愛されていることを今まで以上に心に刻んで、それ以上に愛したい気持ちをギュッと抱えながら歩いていきたい。


言う通り、生きているのだから全てが幸せで楽しいなんてことはなくて、
でも、やっぱり7人の人生には幸せの方が多くあってほしい。
その幸せが過去を振り返ったときに湧き上がるものでも、
今を生きるなかで感じるものでも、
未来を描いて降り注ぐものでも、
それが彼らを笑顔にするものだったら嬉しいし、そこにアミがいたらもっと嬉しい。

そして彼らの人生の一瞬一瞬に、本当に本当に小さくても確かに存在できたのだとしたら、とってもとっても幸せだ。


For my Youth


幸せな時間だけを贈ることができなくて、ごめんね。
とってもたいせつにしてくれて、ありがとう。
愛しても愛し足りないくらい、愛してます。

たとえどれだけつらくて泣くことがあったとしても、必ず最後には心から笑って幸せを応援すると約束します。
だからどうか、罪悪感もぜんぶ溶かしてやりたいことをたくさんしてくださいね。
この先、ただ幸せだけを感じる日が一日でも多く訪れること、心から願っています。


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