この愛は酸素(2024.06.13)
私は7人がいなくても私を愛してあげられるだろうか、と考えたことがある。
3年前だったと思う。
あるとき読んだ本の中に、こんな言葉があった。
この言葉がすごく印象的で、なぜだかとても、泣きそうになった。
「娘」とか、「学生」とか、いろんなアイデンティティがある中で、私は「アミ」というアイデンティティがすごく大切で誇らしく思っていたし、防弾少年団というフィルターを通すことで、私は私を好きでいられると感じていた。
私は、こんなにすてきな人たちを好きな私が好きだったし、それが私の自慢だった。
でもこの文章を読んだとき、こうも思った。
いつか、7人のおかげで、「防弾少年団」や「アミ」というフィルターを通さなくても私が私を愛することができるようになったとしたらそれは、少し寂しいけれど、とても素敵なことだと。
私には少年団さんが必要だし、アミという名前も必要だけれど、私は少年団さんのおかげで、少し大丈夫になった気がする。
私は私のことを、「アミ」という名前なしでも、少しずつ愛してあげられるようになった気がする。
私のこれを成長と呼ぶなら、私の成長を手伝ってくれたのは紛れもなく少年団さんだ。
7人の存在とともに生きるなかで、いろんな人と出会って、いろんなことを経験して、いろんなことを学び感じてきたけど、そのどの瞬間にも7人がいた。
7人は私にたくさんの縁をくれたし、良い思い出や記憶をくれた。
7人を通して考えたこともたくさんあるし、7人から教わったことも数え切れないほどたくさんある。
少年団さんを好きになってから7年という月日が経った。
その間本当に、本当にいろいろなことがあったけれど、誇張ではなく、7人のおかげで私は生きてこられたのだと思っている。
今の私がいるのは7人がいてくれたからだと、本気でそう思っている。
ひとりではどうしたって耐えられない日々を、共にしてくれた防弾少年団。
そんな日々のなかで、光になってくれた防弾少年団。
誰よりも何よりも、私の日常を、人生を彩ってくれた防弾少年団。
いつからかこの愛はもう、いつか萎んでいくようなものではなくなったように思う。
この愛は私という人間のデフォルトだ。
萎んだり、冷めたり、消えたりすることはきっともうない。
これからもいろんなことがあるだろう。
つらいことや苦しいことが、たくさんたくさんあるだろう。
そんなとき7人を想うことで耐えてきた私が、いつか、7人のことを想わずとも耐えられるようになったとしたら、もしもそんなときがきたとしたら、それは絶対に7人のおかげだ。
それほどに7人が私を救ってくれたということ、
励まし、生きていく活力をくれたということ。
そして、もしもそんなときが訪れたとしても、それはこの気持ちが小さくなったり軽くなったり、冷たくなったりして消えたわけではないということ、
形容しがたいけれど、確かな気持ちが私のなかで生きているということ。
そのことを、大切な今日ここに残したい。
去年に引き続き、それぞれがそれぞれの場所で過ごす6月13日。
これまでよりも少し離れたところにいるからか、私の人生が少年団さんにどれほど助けられていたかをより実感する今日この頃。
私は、防弾少年団のことがとても大切で大好きです。
11周年もこうしてお祝いすることができて本当に嬉しい、少年団さんありがとう。
これからも一緒に、幸せな思い出を重ねていけますよう願いを込めて。
2024.6.13
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