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幼い自分

自分の中いにる幼い自分が泣いている。
遠い過去に、奥に閉じ込めたその子が泣いている。

その子は、周りの大人から怒られ、否定され、雑に扱われて傷ついている。
そして、悲しく、寂しい思いもいっぱいした、

その子にそんな思いをさせたくない、嫌だと,
奥に閉じ込めた。
そうすれば、もう怒られないし、大丈夫だと、守ってあげることを決めた。

よかった、これでもう怒られることはない。
そう思っていたけど、違った。
それまで怒られていた人ではない人にも、怒られ、雑に扱われ、否定された。

さらに頑張る。
奥に閉じ込めた子の存在をいつしか忘れ、自分というものを、周りを見ながら作っていく。

でも、不思議なもので、その子は時折、内側から訴えてくる。
奥に閉じ込めて、忘れていた子を思い出す機会が訪れる。
それは何度も何度も訪れる。
救い出してあげるまで、何度も。

ダメ、出てこないで。
その子が出てくるのを、すんなり受け入れることなんてできない。
何ならさらに厳しく、その子が出てないように監視する。

次第に、幼いその子の気持ちを守るために奥にやったのに、邪魔だとさえ感じるようになる。

その子を大事に守っているのか、ぞんざいに扱っているのか、自分でも分からなくなる。

この矛盾が苦しい。 

奥にやった自分も、邪魔だと感じる自分も、どちらも自分なのに。

でもね、自分はその子を守ろうとした。
雑に扱っているのは、幼い頃にいた大人なんだよね。

自分じゃない。
自分の中に居座っている大人がいるだけ。
その大人たちには、おいとましてもらう。
もう居なくていいですよ、さよーなら。
どうぞお幸せって。

そうしたら、
私はここにいるよ、認めて、そう訴えている、
幼い自分に手を差し伸べることができる。

自分の手で、その子を救い出してあげる。

遅くなってごめんね。
長い間ずっとがんばってたね。
今までありがとう。

手を取って救い出し、抱きしめてあげて。

自分を救うのは自分しかいない。

*****

今朝ふと、自分なりに言語化したくなった。

心の仕組みや、これまでの経験、自分の心の変化などが、さらに深く繋がったような感じがした。

とても遠回りをしているような人生だけど、全ての経験には意味があって、どれも無駄ではなく、全部あるからこそ、繋がって、今に至るんだって。

私はそれを、今の家庭、夫や娘からしか学べなかったみたい。
幼い自分を救い出せたのは二人のおかげだ。

改めてそう感じられ、朝から何だか嬉しくて、幸せで、感謝でいっぱいの一日だった。

有難いな。

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