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『無門関』第十一則 州勘庵主

本則口語訳

趙州和尚が一人の庵主を訪ねて、「おられますか」と声をかけた。

庵主は拳を頭上にあげた。それを見た趙州和尚は「船を泊めるには水の水位が浅すぎる」と言いて帰っていった。

趙州和尚はもう一人の庵主に同じ要領で「おられますか」と声をかけた。

つぎの庵主も拳を頭上にあげた。

すると趙州和尚は「あなたは殺すも生すも与奪自在を心得ている」と言って礼拝した。

解説

『無門関』ではよく知られた趙州禅師の登場です。

趙州禅師は、中国の唐代の禅僧で八十歳まで行脚と言って各地の寺院を回って教えを広め続けた禅師である。

その禅風は穏やかな言葉で教えを説いたのである。

教えるだけでは無く、自らも学んでいったのである。

だから「七歳の子供であっても、学ぶところがあったら、素直に学ぼう。

百歳の老人であっても、教えるところがあったら教えよう」といった経歴の禅師であった事を念頭に入れておこう。

とはいっても、それは厳しい戦国武将にも劣らない刃の戦いであったのであろう。

ゆわば武士の他流試合、道場荒らしにも匹敵する修行であった。

このような時代の条件を前提に我が身を置かなければ決して見えてはこないのである。

これは二人の庵主の挙動に対する評価で、文字からはその違いは解り図らいのである。

二人の庵主は同じように握った手を頭の上に挙げただけである。

それを知るにはその場に居た趙州禅師の言葉に頼るしかありません。

また基本的には禅は今、ここ、自己を重視していて、そこに目をつけることである。

所が文字の上には空間は表現されていても時間は知ることは出来ないのである。

空間的表現とは頭上に上げられた拳である。

しかしこの頭上に上げられた拳に拘ると趙州禅師の二の舞に陥いることになる。

趙州禅師は二人の庵主に看破されていたのであると無門禅師は言う。

禅の出会いの挨拶とはお互いに力量を試すことを本分とすることである。

そのようにして心境を深めて行くのが禅である。

「船を泊めるには水の水位が浅すぎる」という文を「心を留めるには時間が浅(短か)すぎる」と言い換えてみれば、これが時間的表現になる。

心を留めるとは言葉による返事である。

これは時間の象徴的表現であり、今、ここ、自己が揃ったことになる。

心を留めては成らなとは沢庵禅師が『不動智神妙録』で再三言っていたのである。

そうすれば趙州禅師が最初の庵主に看破されて返す言葉も無く退散したのである。

庵主の挙動は殺人剣であり活人剣だったとも考えられる。

庵主の殺人剣に趙州禅師は返す言葉を失ったのである。

だからさっさと帰っていったのである。

ところが、言葉を失った趙州禅師はそれはそれで見事な対応であったことを見抜かなければならない。

「飛ぶ鳥跡を濁さず」とは正にこのことを言うのである。

跡を濁しいては禅師とは言えないのである。

負けたとも勝ったとも戦ったとも一切無である。

それはさっぱりと晴れ上がった空のように去っていったのである。

趙州禅師の意識には勝ち負けの二元対立が無いとはこのような心境をいうのである。

もちろん最初から勝ち負けの二元対立を超越していたのである。

そこには自己も無ければ庵主も居ないのである。

現実には趙州禅師は庵主を前にしているのに何故主客が居ないのか、言葉の遊びではなく実感であることを知るべきである。

趙州禅師には矛盾や苦脳、煩悩が存在しない理由がここにあるのである。

それって幻想、虚構ではないかと思うかも知れない。

ところが故人に言わせれば、

狂と呼ぼうと暴と呼ぼうと

評はお好きなように。

桃花はおのずから紅に、

梨花はおのずから白い。

(柴山全慶著『無門関講話』創元社より引用)

このように禅者はどちらが虚構か現実かととうのである。

二元対立を一刀一段に切り捨てたところには争いは生じないのである。

二項対立の無い所には戦の無いことも事実である。

さてみなさんはどう考えるのでしょうか。


参照文献

『公案実践的禅入門』秋月龍眠著 筑摩書房
『無門関』柴山全慶著 創元社
『碧巌録』大森曹玄著 柏樹社

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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