『夢中問答』第四話:無心を求むる
問い
雑念を捨てれば無心になることは解っていますがそれが長くは続きません、如何なる工夫が必用でしょうか。
答え
雑念とは考えの複合体であり整理の着かない矛盾した欲求の混乱状態だから、要らない考えを捨てることである。
過っては有効だったが今は無用になった習慣を順番に捨てていけば気が楽になり時間の節約になる。
そのようにして全てを捨ててしまえば無心になり自由自在が手に入る。
とは言っても捨てることは心許無く心配になるであろうが捨てると言っても「不生不滅」といって消えることも増えることもない。
「不生不滅」とは記憶から消そうとしても消えるものでは無く消すことでもなく感情から自由になることである。
「情を忘ずれば仏法」とは第二話で解説した通りである。
記憶は有っても無くっても意味が無くなれば意識の上では「不生不滅」である。
意味が無いとはその記憶に価値がなくなることである。
価値をなくすとは過去、現在、未来の栄光に拘わらないことである。
過去、現在、未来の栄光に拘って自由を失った状態を解放すことである。
だから夢窓国師は「福」、有為、涅槃を捨てよと言うのである。
夢窓国師の言う「福」とは食べ物でもなく住むところでもなく過去、現在、未来の有為のことである。
有為とは無常なる現象世界を言い、過去、現在、未来の有るようで無いような幻に過ぎないのである。
その様な幻に拘って状況判断することに価値がないことは明らかである。
涅槃とは仏教の理想であり仏の悟りの境地を言う。
ところで盲点とは自分の理想の中に潜んでいるからなかなか探すのに難しい。
悟りを願う欲心もまた虚構に過ぎないからそれを放下すれば三昧無量、無辺妙用等を活用して自を利し他を利すること間違いなしと言えどもくれぐれも欲心を起こしては成らない。
また高位の菩薩をうらやまず精進するのである。
参照
『夢中問答』夢窓国師 岩波文庫:絶版
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