『夢中問答』第十八話:魔境とは
問い
仏法の修行者が時には魔境の道に迷い込むとはどの様な状況を言うのでしょうか。
夢窓国師曰く
仏道の防害になる人の行為を全て魔業と言い、魔業を行えば魔境に入る。
大般若経の魔事品、首楞厳経、天台の止観の中に詳しく書かれている。
まとめて言えば魔には二種類あって内魔と外魔に分けることが出来る。
外魔とは自己の外より影響を与える全ての集団や個人の行為や思想、友愛なども外魔と言う。
その中でも最大の魔王とも言うべきものは慾心でこれを天魔と言い、いわゆる天狗と名付けた人々の総称である。
此の魔王は仏菩薩に興味の無い人達には無関心で事業の邪魔をすることは無い。
何故なら普通の人は生死を考えることが無いからである。
魔は後光を放ち時間空間を自由自在使いこなし仏菩薩に成りきって法門をくまなく弁じており正に仏陀そのものの形をしているのである。
涅槃経の中に書かれているのは、釈迦の十大弟子の一人である阿難がこの魔王に出くわした出来事である。
阿難が修業の途中で九百満の天魔に会ったのであるが、その天魔の説くところは釈尊の説くところと寸分の違いも無いのである。
ところが互に批判しあったり攻撃していて何方が釈尊に似た天魔か釈迦の側近の阿難でさえ判別出来なかった。
これを見かねた釈尊は文殊を使って呪文を誦させて天魔を退散させたのであるが、阿難はそれでも混迷は解けなかた次第である。
阿難にしてかくの如、ましてや凡人は言わずとも解るであろう。
世間には有名な人こそ貴しと言うがそれこそ魔道に違いないのである。
参照
『夢中問答』夢窓国師 岩波文庫
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