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『美味しいごはんがたべられますように』タイトルは呪いの言葉

大人気で図書館で180人待ちだった。
ついに読めた。
さらっとした文章で、
ストーリーも大きな起伏はなくすぐに読み終えることができる。
でも、
読み終わった後のザラザラした感覚、
作中で社内に蔓延していた「なんだかなあ、でもまあ穏便にいこう、面倒だし」スタンスへのモヤモヤ、
読み終えてすぐに感想を言語化するのが難しい作品だった。
話題になっているのがわかる。
時間をおいて気持ちを整理して、
もう一度読みたくなる作品だ。


「食」

主人公・二谷は食事に興味がない。
食に脳のキャパを奪われるのが嫌、食事なしで生きれるならそうしたいというタイプ。
この人が食べるご飯は全部不味そうだ。
よくカップ麺を食べているけれどそれは「1番手間が少なく腹が膨れる」からであり美味しいからでも好きだからでもない。
何度もカップ麺を食べる描写があるけれど、
新商品を買ってみたりアレンジレシピを楽しむことはない。
たまたまカップ麺が手頃だっただけで、 
それはカロリーメイトみたいなやつでも
完全栄養食のジュースでもなんでもよかったのだ。

対して芦川さんは
「わたし、ていねいに、くらしてます」
という感じ。
彼女は食事を大切に丁寧に丁寧にする。
栄養バランスを考えた自炊ご飯は正義で、
野菜を食べない主義は
「信じられない!私が助けてあげる!」
と相手の主義に寄り添う気持ちは一切ない。自分が絶対に正しいと疑わない。

二谷は他人に食のスタンスを押し付けることも、他人を否定することもしないが芦川さんは違う。

一般的な価値観で言うと栄養バランスを考え丁寧に調理して丁寧に食事をする芦川さんは「こういう暮らしっていいよね、憧れるよね」と思われる対象だがこの作品ではそんな食事がとても馬鹿馬鹿しく見える。

現実世界で二谷のような食生活を送っている友人がいたら「もうちょっとまともなもの食べなよ」と言ってしまいそうだが、
作品を読んだ後だとそれは野暮なことだとわかる。
自分の食への信条を他人に押し付けることは相手には迷惑でしかなくただのエゴなのだ。

「恋愛」

二谷と芦川さんは付き合っている。
芦川さんはせっせと二谷の家に通いご飯を作り、他愛もない話をしながら一緒に食べ、
いかにも社会人カップルらしいことをしているけれど、
恋人としての好意がわかる描写が一切ない。
二谷から芦川さんへも、その逆もない。
2人とも「これが自然な流れだから従う」だけだからだ。
もし二谷が恋愛的に芦川さんを好きなら「苦手な仕事もやる姿勢を見せたほうがいいよ」とか「早退する前にある程度形にして引き継いだ人がやりやすいようにした方がいいよ」とか、
彼女の会社での立場をよくするためのアドバイスをするはずだし、
そもそも彼女が作ったお菓子を捨てたり、
手作りご飯の後にこっそりカップ麺を食べたりしない。
彼女の体調を心配する様子も一切ない。

二谷が彼女の手料理を食べるシーンはまるでゲテモノ料理を本当は不味くて吐き出したいのに、美味しそうに食べる演技を強いられているようで見ていて胃がキリキリしてくる。
そして二谷がその演技を続けるのは芦川さんへの愛や気遣いでなく「ここは美味しそうに食べるのが普通の人のマナーだから」である。

芦川さんも
「恋人のためにごはんを作るわたし」
としての振る舞いをしている。
本当に二谷の健康を案じたり愛しているから行動しているわけではない。
二谷が残業三昧の時の彼女の行動はまるで違う会社に勤めている他人のようで同じ会社の社員とは思えない。

作中ラストで二谷が異動となり今の家からだと通勤が2時間半かかるため引っ越すことになった。
その後のことは描かれていない。
けれどきっと芦川さんは二谷の家に通い続ける。
「移動が大変で体調が辛くて」とアピールをすれば二谷は「これは結婚したほうがいいんだろうな」とプロポーズする。
二谷は芦川さんが長時間かけて通ってくれても何も思わないし、
わざわざ時間をかけて芦川さんの家の近くに行ったりはしないし、
食後の秘密のカップ麺も続ける。
自分の家に通う負担で仕事を休んだと聞いたとしても何も思わないだろう。
もし芦川さんが「遠距離が辛いから別れたい」と言えばあっさり別れるだろう。
別れた後に彼女のことを恋しくなんて思わないし、ご飯を作る彼女に気を使う時間がなくなって開放感さえあるかもしれない。

全部私の想像だけど、
そうだと思う。

「会社」

作中ではっきりとした言葉では描かれていないけれど「あのさあ、お菓子とか作る余裕あるんだったら残業して仕事してよ、そういうのウザいよ」という空気が社内に漂っている。
その空気をうまく隠しつつも漏れ出てしまっている人が1人ではなく複数人いる。
「お菓子を捨てる」ことで隠れた意思表示をしている人もいるが全員大人として「嬉しい、美味しい」とおやつの時間には嘘をついて場の空気を壊したりしない。
一度でもギスギスした会社に勤めたことがある人、それが本心でなくても空気を読んだ発言をしたことがある人ならここで気分が悪くなると思う。
私はしんどくなった。


「社内いじめ同盟」の押尾さんは「みんなの大切な芦川さんをいじめた酷い人」として糾弾されるが、悪いのは押尾さんだったと言えるだろうか?
彼女は自分の分のお菓子を捨ててない。
捨てられたお菓子を机の上に置いた。
それだけのことをしたくなることを芦川さんにされている。
彼女が芦川さんに他の社員と同じ仕事を振ることも意地悪ではない。
それは本来芦川さんが社員として負担すべきことであり、気遣ってあげている周りが異常なのではないだろうか。

「会社に芦川さんがいたらすごく嫌」

芦川さんに悪気は一切ない。
彼女の処世術として欠勤や残業ができない埋め合わせを手作りお菓子でしている。
人当たりもいい。
最悪だ。

いやいや、
苦手でもやる姿勢だけでも見せなよ、
体調不良で同僚に迷惑をかけた分はお菓子じゃなくて仕事で返しなよ、
自分だけ美味しい思いをして善人ぶるな。
とかなりイライラしてしまった。

この会社の癌は古い価値観の上司ではなく芦川さんだ。

もし私がこの会社に勤めていたら確実に「いじめ同盟」側になっていたし、芦川さんに「今日残れない?」とか「昨日早退した後これだけ大変だったんだよ」とか言ってるし、上司に「1人だけ残業を免除されてできたプライベートな時間に趣味のお菓子作りをしてそれを職場で発表するっておかしくないですか?」と訴えていたことだろう。

芦川さんが性格の悪い人だったら楽だ。

「あいつうざい」と芦川さんを悪者にできる。
あの「天然で〜す、すみませ〜ん、わたしいい子です〜」とアピールして自分の安全地帯を守るタイプが1番タチが悪い。
彼女を嫌う人が必ず悪者になる。

このタイプの人は「わたし、こまってます」という顔をしていれば周りが勝手に心配して、
代わりに怒って問題をどうにかしてくれる。
そしてそれを当たり前だと思ってる。
ああ、イライラする。
読後の不快感の正体はこれだ。

芦川さんは周りの人から本当に愛されて大切にされていくわけではなく、
諦められ何も期待されていない。
家族さえも彼女を諦めている。
まるで大人と子供、絶対に対等になれない。
全員からうっすら見下されているとも言える。
見下している側はきっと無意識だろう。
学校、会社、家庭、あらゆるところでそういう存在はいる。
それをはっきり突きつけられているからこの作品は読んでいて苦しくなる。

「おいしいごはんがたべられますように」

このタイトルは、
作中の人物から人物への一方通行な願いであり呪いだ。

*支店長→部下たち
「ご飯はみんなで食べた方がおいしいから、みんなで食べよう!孤食は可哀想だ!」

*芦川さん→二谷
「毎日健康的なおいしいごはん、いっぱいつくるので食べてください!」

*世間→二谷(学生時代)
「男の子なんだからいっぱいおいしいもの食べないと!」

飲み仲間の二谷と押尾さんは、
お互いに呪いをかけなかった。
だから押尾さんは二谷とのご飯が心地よかった。理想的な関係だと思う。

この作品は「会社の飲み会の店って不味いし疲れるのに5000円とかするの嫌だな」とか「職場でお菓子交換が流行ってるから毎回大袈裟に美味しいって言ったり、自分も配ったりしてるけど本当は全然好きじゃないのに言えない」とか「友達と行ったお店のご飯が冷めてて不味くても、とりあえず写真撮って美味しいって明るく言わなきゃ」とか誰しも思い当たるけれど、
わざわざ愚痴ったり真剣に考えたりしないようなことを突きつけられる。
突きつけられた棘が刺さって痛い。
痛みが読後の余韻になる。
ごちそうさまでした。



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