見出し画像

デンマーク人流自己開示・みんな違って当たり前

フォルケホイスコーレに来て4ヶ月が過ぎようとしている。印象的だった初回の自己紹介プレゼンについて振り返る。

自己紹介というと、通常は先生がある程度の「型」を提示して、レクチャーをすることが多いと思うが、この課題で指示されたのは「5分」の設定時間と数日の準備期間のみ。

スライドを使おうが何かパフォーマンスをしようが、「自分の表現したいように自由に」ということだった。

授業後、日本人同士でいったん「確認」をし合う。どうする?そっかパワポ使んだ。うーん、私はどうしようかな?これにしようと思うけど、、と雑談が始まる。

しかし、デンマーク人は先生の指示の後、課題とは関係のないおしゃべりをしているようで、準備をいつからどうするのかすらわからなかった。

そして数日後の発表の場で、度肝を抜かれた。彼らの自己紹介はとにかく斬新で個性豊かだった。

画像1

デンマーク人の「個」をさらけ出すプレゼンテーション

トップバッターは軍人のマーティン。彼はショートムービーを披露した。自分が出向いた戦地での銃撃シーンの後、無音で映像のない時間が10秒ほど。その後はリラックスした日常や家族とのシーンが映し出され、そしてまた戦地へと。それが何度か繰り返される。

戦地と安息の間に挟まっていたその無音は、やけに虚しいコントラストだったが、最後に彼は「僕はここに、この空白の時間を埋めに来た。」と言った。

ピプラックは、アカペラでラップ調の歌とダンス。あまりに慣れているので、演劇の経験があるのかと聞くと、「小学校の時にやっただけ」と。

ピアは中央に薔薇が入った花瓶を置き、花を人生に例えて語り出した。「人間の恐れが恐れを生み出す。人には愛を。」というようなメッセージだが、最後は一人一人に薔薇を手渡した。

モーンスは壁に白紙を貼り、自分史を書き込みながら解説。その中には妻の自殺や子供の話が出てきたが、「自分をまだ満たせていない」と言って涙目になった。

ルイーセという女の子は自己紹介は苦手だからと言って、代わりにインドの旅先で見つけた自分の好きな「詩」を読み上げた。その一節には「今日の大切な時間はあなたのもの」とあって、最後にをその詩を印刷した素敵な紙を全員に配った。

・・・・何が言いたいかと言うと、こんなに自由でメッセージ性があり、その人の内側まで垣間見えるようなプレゼンテーションを見たことがない!

外国人は確かに自己PRに長けているとは思うが、何だかそれとも違う。彼らのユニークネスは自然体で肩の力が抜けているのだ。

全てをさらけ出す人、何も開示したくない人、本を朗読する人、ギターを弾く人。世界一周の自転車旅を話す人。。個人のやり方は自由でそれを温かく見守る観衆。

老いも若きもそれぞれの人生を誇らしく語る場で、彼らの個性や特徴が見事にこの数分に詰まっている気がした。

これはデンマーク特有の自主性や独立性を重んじる教育の賜物だろうか?隣の子と成績や評価で比較される経験が少ない彼らだからこそ、堂々と「個」を主張できるのかもしれない。

初回でここまで惜しげもなく「私とは」をさらけ出し、人生模様を語り出すということにいささか衝撃を受けた。

「相手からどう見えるか」という視点より、圧倒的に「自分が何を伝えたいか」という軸の強さを感じた。そして「北欧のラテン」と呼ばれるデンマーク人には、そんな多種多様で異質な「個」を受け入れるオープンマインドと寛容さがあるのだろう。

そうだそうだ、自分は自分でいいのだ。それ以上でも以下でもないのだ。と改めて感じる一コマであった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?