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心をありのままに俯瞰する

今やマインドフルネスなど瞑想が社会認知される時代になってきたが、私がなぜか北欧の地で触れたインド発祥のちょっぴり怪しげな名前のTM瞑想を習って継続すること2ヶ月。

朝と晩の20分、ただ目を閉じマントラを唱える静かな時間。

その最中には大昔の記憶から昨日の会話まで、脳の中に堆積された思考やコトバの断片が浮かび上がってくる。

瞑想の効果は科学的に実証されており、脳全体のはたらきが活性化されると言われている。本来の身体機能に戻すようなイメージ。

マントラを唱えて深い意識へと入っていき、少しずつ脳の中にあるストレス物質を取り除いていく。精米に例えると、ストレスのある状態が玄米で、(栄養はあるがそれはさておき)そこから外側にこびりついたものを削っていき胚芽米に、そして最終的に磨かれた白米になる。

しかし、どこからが「深い」意識なのかというのは正直まだよくわからない。私の場合は瞑想の終盤辺りで、ぼんやりウイルスのような形をした「モヤモヤ」物体がシューっと遠くに消えていく映像が目の中に見える。これが見えると勝手に「あ、今深いのかな」なんて思ったりする。

感じ方や見え方も人それぞれで何が正しくて間違いかというのもあるわけではない。

瞑想中に出てくる思考や意識に対して、判断や評価をしたり、意味を考えたりしない。そしてまたマントラに戻り、それを繰り返していく。

人間は感情のある生き物だから、幸せな日もあれば切なくて悲しい日もある。

瞑想をしていると時折、無意識下の「感情」があふれ出てきて、急に泣きたくなったりする。最近何か悲しいことがあったわけではないのに。

ただ静かに「ああ、あの時わたしは辛かったんだ」とか「そこに執着していたのか」という風に、心を俯瞰している自分に気付く。これは自分にとって大きな効果なんだと思う。

奥のほうに押し込めていた感情を優しく受け止めて、寄り添って、そっと手放す感じ。

そして瞑想の終わり頃には、なんとも言えない静けさと穏やかさに包まれた平和な時間が訪れる。ただありのままに感情を見つめるという作業は、私にとっては大事なひとときとなっている。

学校ではグループ瞑想もやってみた。気心知れている人達との瞑想はなんとも心地よいもので、一人の時とは違うエネルギーのようなものを感じる。

みんな「不思議だよねえ、こういう感覚。」と話していたが、集団力学のようなものなのか?安心・安全の関係と環境がそうさせるのかもしれない。

ただし、自分自身と向き合うことを避けて、瞑想から気づきを得ようとか、外側に何かを求めてもうまくはいかない。自分を整えて前を向いておくことが大事。目に見えないものごとも大切に、いつも寛容でありたいと思う今日この頃。

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