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変化を受け入れる

さて、またまた出産前のお話を。


胎動などもあり、我が子に対する愛情を感じずにはいられなかった。
「愛せるのか?」という心配はもうなかったが、自分の変化への戸惑いが生まれた。

このまま自分は変わってしまうのだろうか?

予定日が近づくにつれ、この不安は強くなった。
子供ができたって、愛せないと思っていた。そんな自分が、お腹にいる我が子をかわいいと思い、無事に産まれてほしいと望んでいる。早く会いたいと思っている。
これは大きな変化だった。

なんだか、自分がいなくなる気がして…
今までの自分が否定されている気がして…

こんなことを話せば、「親になるのに何を言っているの」と叱責されそうで、誰にも相談できないまま、日々は過ぎていった。

ある日、推しの曲を流しながらお風呂に入っていた。
その時、ある曲のある歌詞が、私のモヤモヤを吹き飛ばす。

たとえ今の自分じゃなくなっても
胸を張れ 恐れるな 「自分」だ

『人生すなわちパンタ・レイ』
アンジュルム


何度も聴いていたはずなのに、何度も口ずさんでいたはずなのに、初めて聴いたかのような衝撃だった。

そうか。
変わってしまっても、自分でなくなるわけではない。
「子供を愛せるだろうか」とか「別に子供いなくてもいいけど」とか思っていた過去の自分も『自分』だし、妊娠して子がかわいく思えた自分も『自分』なのだ。

その前にもこんな一節がある。

変わることは時に恐怖ね
「わたし」が消えちゃうような感覚
髪を切って 機種変して
引っ越して 年かさね
ねえ「わたし」ってなんでしょね?

妊娠による様々な変化によって、自分がいなくなってしまう感覚に支配されていた。

きっと出産後も、もっと色々な変化が訪れるだろう。

どんなに変わってしまっても、私は私だ。
どうせなら良い方に変わりたいと、願うばかりである。




最後に…
今回は敢えて推しの話はしないが、どの時代も最強で素晴らしいグループだとだけ述べておく。

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