QHHT〜ある殿の一生④〜
ある日のこと。
少年が預けられていた寺に鎧武者と
直垂(ひたたれ)を着た武士達が
豪華な籠と共にやってきた。
一言二言、預けられていた寺の住職と言葉を交わし
住職は小さくため息をつくと
そばに控えていた僧侶に言葉を掛ける。
僧侶は少年の居室に
これから少年から青年になる為の
装束を入れた漆塗りの盆を持って現れた。
少年は既に自身の身の状況を理解していた。
僧侶が現れてから少しの後に
住職がやってきて少年に祝いの言葉を掛ける。
それは祝いの言葉なのか呪いの言葉なのか
少しの自問ののち、少年は寂しく微笑むのであった。
住職と僧侶達の手により
少年の印であった長い髪は落とされ
彼は成人した武士の髷に
使者達が持ってきた長直垂(ながひたたれ)を着た
若武者の姿へと変貌した。
日々の暮らしでその身は逞しくなり
幼き頃は巨人と思っていた住職よりも
既に背丈も高くなっており
長年の精神鍛錬の賜物か
精錬とした目つきと
物言いたげでありながらしっかりと結ばれた唇は
心のうちの葛藤を表に見せない腹の座りようを
見るものに圧倒的な存在感を示し
その服装と相まって頼もしげであった。
そこから数日の時を経て
彼はこれからの人生の舞台となる屋敷に入った。
今までは自然に溢れた山寺にて
見知った僧侶達と学び笑い合っていた。
しかし今目の前に広がる景色はそれとは真逆である。
板の間の広間の両脇には
二十名を越える家臣達が中央を開けて
拳を床につき深々と首(こうべ)を垂れている。
家臣達より畳二枚ほどの高さのある
板の間の上手に据えられた座布団の上に
彼は座っていた。
側から見れば忠臣を誓った家臣達が
彼らの新しい主君へ礼の限りを尽くした様に見える。
しかし彼らの腹の中が透けて見えるように
その座敷の中にはなんとも複雑な
重苦しい空気が漂っているのである。
彼らが芯より忠誠を誓った主君も
いずれはそうなるであろうと
幼き時からその成長を楽しみに見続けた
あの御子息も今はこの世にいない。
今目の前にいる青年は
その主君すら滅多に口にすることの無かった
かつての人質である。
また今まで何を学び
どのように鍛錬してきたのかすら
知る由もなく
主君の突然の死によって
突然現れた若いといえば若すぎる青年だ。
それを今日から主君と呼べという。
とはいえ謀反を起こしお家乗っ取りを企てたとて
この戦乱の世の中にあって
虎視眈々とこの地を狙う他国に
隙をついて攻められでもしたら
それこそ取り返しがつかないのである。
海のものとも山のものともつかぬこの青年に
付き従うしか生きる術のない己の身を恨みつつも
表向きは忠誠を誓うがの如く
首を垂れるものが大半であった。
そんな場の雰囲気を見て
表情はぴくりとも動かさず
彼は小さくため息をついた。
彼はこの日から殿になったのである。
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