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あなたを自由にしたかった ~パブリックイメージとの戦い終焉~
こんにちは。年の瀬ですね。
マトリョーシカの頃に書くといっていて、書く書く詐欺を働いていたことに気づきまして、そしてこれはきちんと残しておきたいなと思って、ブログを書き始めました。
なんと、今年は2本も書きました。快挙だと思います(低レベルな自慢)
まず、こちらの記事をご覧ください。
こちらは、マトリョーシカ開始前に書いていた記事でした。
実は、この記事を書いたあとに、原作者である早見先生に記事を添えてDMをさせていただいたんです。
そうなんですそうなんです(手ひらひら)私こういう行動力には定評がありまして。
櫻井翔にはすごい熱量のファンがいるもんだと驚かせてしまったかもしれませんが、大変丁寧にご返信を頂戴しました。本当に素敵な方で、頭があがりません。
簡単にやりとりを要約すると、
(当方)
大変お忙しい中とは存じますが、感謝と、もしご質問が叶えば一点おしえていただけないかと思い、DMさせていただきました。
【感謝】 笑うマトリョーシカ拝読いたしました。大変素敵な作品と出会うことができました。ありがとうございます。ドラマも大変楽しみにしております。
【共有】 今回のドラマに関する感情を櫻井翔くんファン目線で文章にしたためました。もしよろしければご覧いただけますと大変嬉しいです。
【ご質問】
上記記事の中にも記載をさせていただいたのですが、清家さんを櫻井翔くんをイメージをして書かれたという記述を拝見しました。もともと、櫻井翔くんをみて、清家的なイメージを持たれていたのでしょうか?率直な印象をお聞かせいただけると大変うれしいです。
※当然ながら、早見先生の持たれていたイメージにファン目線で善悪の判断をするような趣旨では断固なく、純粋にお聞きしたいという意図です。不躾な質問をしてしまい、大変恐れ入ります。
私が伺いたかったのは「櫻井翔くんはどのように見えていたのか?」この一点でした。
(頂いたご返信:要約)
完璧なパブリックイメージと、それに付随する社会から眼差し、それらを除けようとする(とこちらが勝手にイメージできる)櫻井さんの一面を清家一郎にお借りした、とのことでした。
(当方)
(略)
あまり本人は表出しないのですが、ファン目線でみると少し「社会の(一方的な)眼差し」に窮屈そうだな、大丈夫かなとおもっていた時期がございました。 そんなところを(面影的にも)みていて下さった方がいるということ自体が嬉しくおもっております。 引き続き盛り上げて参ります! 本当にありがとうございました!
これが、ドラマ開始前の状態でした。
そして、ドラマを終えて。
私が心に残ったことを書いていきます。
僕のことをよく知ろうともせず、ただただ僕を持ち上げている
一番重要なセリフが、これだったのではないかと思いました。
清家フィーバーで人気がどんどん上がっていく中で、誰も本当に自分のことを見てくれている人は居なくて、大衆は、ただ「みんなが持ち上げていて人気がある清家」を横にならって持ち上げている(ように感じてしまっている)
そして、大衆の中で持ち上げられて、でも本当の自分を見てくれている人はいないと感じてしまう「孤独」。
櫻井翔という人間も、大衆の中で「イメージ」によって好感度が引きあがり、みんなが大好きな「人気者」として、大きな大きな光を浴びていた時期がありました。今よりも、もっともっと大きな光でしたし、その大きな光との付き合い方も、いまより会得していなかったのではないかと思います。
実際にどうだったのかは分かりません。
あくまでもこの話は、私の推測でしかありません。
翔くんは決して自分の内面の弱い部分や葛藤は見せない人なので。ただ、今回清家さんという役を通して見せてくれた「感情」は、演技だけど、演技ではあるけれど、翔くんの中にもかけらとして存在していた「感情」があったのではないかという答え合わせのような感慨深さがありました。
あなたを自由にしたかった
え、ポエムこわい。
そうなんです。私も言葉にして怖いなって思いました(真顔です)
ただ、ずっとこう思っていたのだと思います。
品行方正ではない翔くんも、
本当は超負けず嫌いな翔くんも、
過去自分のことを馬鹿にした大人たちに一泡ふかせるつもりで世間を睨みつけて生きてきた翔くんも、
優しいけど礼儀を守らない奴のことは許さない翔くんも、
そういう翔くんも、ずっと大好きでした。
私にできることはブログを書くこと、風をおくることくらいしかないけど、あなたはひとりじゃないから。
私はずっと、本当のあなたを見ているから。
自由に羽ばたいてほしいし、自由にやって大丈夫なんだよ。
そんなことを考えて勝手に、本当に勝手に書いてきた約13年間だったのかなと思いました。
そして、長い時間をかけて、翔くん自身の努力によって、櫻井翔という人間はパブリックイメージというものをうまく乗りこなし、自由になった。
清家一郎と出会えたことは、僕の財産になりました
クランクアップ時の翔くんの言葉です。
清家一郎という人物を通して、翔くんの気持ちや魂が解放された側面もあったのかなと思っています。
何より、私の魂が解放されました。(だろうな)
本物の櫻井翔、なんて誰にもわからないし、全部翔くんなんだと思うけれど、「本物の僕がわからなくなる感覚・孤独感」という感情にケリをつけられたのだとしたら、こんな素晴らしい「物語」はありません。「物語」なしではできなかったことだと思います。
早見先生に本当に本当に、深く感謝です。
これは最後にオタクとしての構造的生きがいの話なのですが、
「みんなから見えている○○」と「私が理解している〇〇」の間に溝があればあるほど、オタク的には応援しがいがある、支えたいと思う、伝えたいと思うのかなと思います。
世界が何と言おうと、私はあなたを信じます。
この関係性を、勝手に(本当に、勝手に!)感じることができたこと、嵐と、翔くんと出会えてよかったなぁ~~~と思いました。人生なんですよ、人生。生きてるんです。一緒に。
そして、私は人に対して全身全霊で尽くして、強く信じるのが大好きなのだなということも、自己分析的に抽出しました。
2024年の終わりに。
また来年も、翔くんに素敵な出会いがありますように。
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