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アメリカンドリームを実現、映画のような人生を歩んだマリリン・モンロー

36歳という短い生涯のなかで、
アメリカンドリームを手にしたマリリンのあくなき挑戦

マリリンモンローは、第二次世界大戦中に産まれ、
10代のころ、航空機の工場で働いていました,

そのころ、軍の機関誌に掲載されたマリリンモンローの写真が目を引き、
それがきっかけで工場を辞め、モデルを目指したのがきっかけで
トップ女優の地位へと駆け上っていきました。

田舎の工場で働いていた少女が、
その後、全世界に名を馳せるマリリンの代名詞となる
『セクシーシンボル』になるまで、

アメリカン・ドリームを実現させた秘訣とは?

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❖マリリン・モンローの身長と体重

身長 164㎝ 体重53.5kg
スリーサイズはB94 W61 H86
(女優にしてはややぽっちゃり体型)

そんなマリリンも、、、
大きなおしりと長くない足がコンプレックスだった!
っと、自身のコンプレックスについて語っています。

そんなマリリンが、
コンプレックスをどのように克服していったのでしょうか。

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❖貧しい無名モデル時代から、トップ女優の地位を手にしたマリリンの美・BOEY♥

決して諦めなかったマリリン

マリリンといえば、思い浮かぶのが・・・
トレードマークの色っぽい口元、真っ赤に塗られたリップとホクロ。
そして、おしりを左右に振りながら歩く「モンロー・ウォーク」

そして、あのイメージカラーのブロンズヘアーの髪
実は、染めたもので本当の髪の色はブルネット(褐色)でした。

美容技術も現在のように優れてはおらず、カラーの原料も皮膚に
とても負担のかかるものでした。
マリリンは、皮膚が乾燥肌で弱いほうだったにも関わらず、
毛染め液の皮膚トラブルを隠しながら、、、
いつもセクシーで豊かなブロンズヘアーを死ぬまで生涯続けたという。。。

まさに、プロ根性ですね。

そして、『マリリン・モンロー』というステージネームを準備して
(※実名は、ノーマ・ジーン)

全て、女優としてトップへの登るために、想像できないような、
たゆまない努力を積み重ねていき、
これらを生みだしたのは、マリリンの努力の賜物です。

しかし、苦難の下済み時代も長く続き、
順調にトップ女優の道を歩んだわけではありませんでした。

モデル時代は、貧しい日々が続き
お金ために、カレンダーのヌードモデルになったり、
高級コール・ガールとして働いてた日々もあったという・・・

でも、ただただマリリンは、諦めなかったのです。
目指す道に向かって、ひたすら努力を続けたのです。

マリリンが、自分の体について徹底的に研究をしました。

マリリンが、自分の体とよく向き合い、
マイナス要素から、目を背けずに向き合って、
なんと!解剖学まで学んで、
美しく見えるポーズをよく理解して
撮影に臨んでいたのです。

こうしてコンプレックスだった体を、セクシーシンボルに作りあげ
コンプレックスだった大きなおしりと長くない足を
最高の美・BODY♥に変えていったのです。

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❖ONとOFFのバランス、プロ意識と素のまま
 自分らしいさを追求したセルフケア

彼女が生きた時代は、現代よりも当然美容に関する技術も
撮影技術も進んでいなかったのにも関わらず、

世界中を魅了し虜にした美貌を、どうやって作り保てたのか、
想像を絶する努力があったのではと、、想像せずにはいられません。

毎朝のジョギングや軽いウェイトトレーニングをしながら、
『人体解剖学』を読みながら
体のラインをいかに美しく見せられるか、
しぐさや角度を極限までに研究するほど、
ポーズへのこだわりは徹底していました。

ジョギングやウェイトトレーニングは、誰でもやってそうだし、
出来そう。。。ですが、
人体解剖学を読んで、研究する発想がもはや普通じゃないですね。

人と同じことをしていてはダメ、
人よりひとつ抜きんでるために必要なことを、熟知していたようです。

そして、マリリンのトレードマークのセクシーな笑顔
鏡を見ながら、魅力的に見せるため、これもまた徹底的に練習したのです。
写真に写るマリリン、体だけではなく表情や顔の向き、ホクロの位置まで
徹底的に研究し計算された美でした。

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でも、バランスが大事なことも知っていました。

意外にも、マリリンは、
ストイックにダイエットにこだわっていたわけではありませんでした。

何よりも大事にしていたことが、

『ストレスフリーな生活、きちんと食べてよく寝る』です。
とても基本的でシンプルですね。

マリリンの1日の食事例をみても、

朝食は、暖かいミルクと卵

撮影などでどんな素敵なところに行っても、
高級レストランには行かず、高級レストランの誘惑に負けず
ホテルに材料を買って自分で準備して食べていたという。

そのメニューは、ステーキやレバー、ラムチョップ等、、
意外にも肉中心!!
サイドに4〜5本の生ニンジンを添えて食べていました。

そして、、、
食後には、自分を甘やかすために、時にはアイスクリームを

日々のジョギングと合わせて
1日に10分程度、胸を中心にした運動を行うというもの。
激しいワークアウトは行わないというマリリン。

無理はしない、食べたいものを我慢しない、
十分な量を食べる、負担のない自分に合ったエクササイズ
とことん自分に合った方法を研究して、それを続ける!

自身の体の欲求に素直にしたがいながら
心と体のバランスをとっていました。

ダイエットに一番の大敵は、ストレスです。
これが、すべてを阻みます。精神も内臓も、、、

マリリンモンローは、長い下積み時代にとても苦労しましが、
その期間に自分自身について徹底研究したのです。
体つくり、ポーズのとり方、付けぼくろ、金髪etc....

『自分だけの美』、『自分だけの個性』を追求した人なのです。

「笑顔は女の子ができる最高のメイクよ」という言葉を残しています。

どんなに着飾っても、メイクで繕っても、本当に心から笑顔になれないと、 そこには美しさは感じられません。

まずは、「健康に美しく!」が原則です!

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❖死後もなお世界中に絶大な人気を誇る
『永遠のセックスシンボル』マリリン・モンロー

1962年8月5日未明、36歳という若さで、
カリフォルニア州ブレントウッドにある自宅の寝室で死亡

今もなお愛され続けているマリリンモンロー
短い生涯でしたが、色褪せない美のまま人々の記憶に残っています。

トップ女優としての道をいっている最中に、
まさかの、36歳という若さで突然人生の幕をとじることに、、、
マリリンの死因については、さまざまな噂があり、
未だに、謎につつまれたまま真実は明らかにされていません。

ビビアンリーも、グレイスケリーも、マリリンも、
名女優たちの最期が、あまりにも謎に包まれ謎の死を遂げるという
共通点があるのが、、、本当に残念でなりません。

マリリンにも死にまつわる、色々な噂がありますが、
睡眠薬の過剰摂取による自殺だとか、、、
ケネディ大統領との不倫関係を隠すためにケネディ兄弟との関わりも、
実際、大きな疑惑として数多くの陰謀説が残っています。

また、マリリン自身の心の病、そして、薬物中毒をめぐる陰謀説も
ありますすが、
周辺の知人からの証言によると、元夫であるディマジオと再婚を決めていたし、仕事に意欲的で次回の契約も決まっていたことをみても、
自殺とは考えられないという見方も。。。

謎が謎を呼ぶ、マリリンの死が
さらに、彼女の死後に永遠性と普遍の美を与えているのかもしれません。

美の概念は、心と体の健康のバランスがあって、
初めて成り立つものです。


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