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みんな誰かの宝物。
世の中が殺伐としている。
不景気のせいなのか、現代があまりにも便利になりすぎた弊害なのか。
原因はいろいろあると思う。
でも、やはり一番大きな要因としては、SNSの普及が考えられると思う。
良くも悪くも、SNSは他者との距離が近くなったように錯覚してしまう。
手軽にコミニュケーションがとれるようになったのは便利なものの、自分以外の誰かを特別な存在なんだと思う意識が低くなってしまったように感じる。
私が子どもの頃にSNSなんてなくて良かったと心底思う。
最近では、某タレント?芸人?が、某芸人さんに「言ってはいけないこと」を言ってしまうような事案で炎上した。
別のアカウントと間違えて誤爆したのでは?などと憶測も流れていたけど、いずれにしても世界中の人が誰でも見られるオープンな場所で、何の躊躇もなく「言ってはいけないこと」を言えてしまう人間性が問題だ。
今、我が家の息子は小学5年生。
言って良いこと悪いこと、やって良いこと悪いことを学んでいる真っ最中である。
こういう時期に、周囲にいる大人からどういった教育を受けられるのかが、今後の人生においてとてつもなく重要なんだと思った。
我が家は決して裕福ではないが、人に対しての思いやりや愛情、礼儀礼節など、たとえ勉強ができないとしても、あるいはお金がないにしても大切にしてほしいことはしっかり伝えていきたいし、子どもたちにも大切にしていってほしい。
みんな誰かの宝物である。
我が家の子どもたちが、我々夫婦にとって宝物であるように、みんなそれぞれに大切な人はいる。
不幸なことに親から愛される喜びを知らないまま育つ人もいるかもしれないが、その形が親からではないにしても誰かからは愛情を享受しながら生きている。
自分にとっては憎かったり、嫌いだなと思う人でも、誰かは大切に思っている。
今回の「言ってはいけないこと」を言ってしまった人を、これ見よがしにSNSで叩く風潮があるが、あれも言ってしまえば同類だ。
元から良く思ってなかったにしても、こういった騒動が起きたときに便乗してSNSで発信する必要はない。
家の中など、オフラインの場で話すならまだしも、前から嫌いだったとか、テレビに出てるとチャンネル変えたくなるなどの嫌悪感をわざわざオンラインの場で発信する必要性がわからない。
嫌いな人、苦手な人、自分が優しくなれない相手とは、相手のことが悪く見えないような距離まで離れればいい。
その結果、交わることがないなら、その人とはその距離感が適切なんだということだから。
みんな誰かの宝物なんだと思うことで、いつもよりほんの少しだけ人に優しくなれる気がする。
それでもダメなときは、自分からソっと殻に閉じこもるのも大人の振る舞いとしては必要なことなんじゃないかな。