パラレルワールドなのだよ
もしも、あのときこうしていたら…
なんて思うことが、何度あっただろう。
ドラえもんのひみつ道具を1つ貰えるとしたら、絶対に「もしもボックス」である。僕が石油王の息子だった世界線で、コロナのない世界線で、おいしいものをたくさん食べてたくさん寝るのである。食って寝るのはコロナあっても出来るのである。。
もしもの世界は、パラレルワールドである。直訳すれば平行世界。この世界と平行に、つまり永劫に交わることなく存在する別の世界。パラレルワールドって、あるのだろうか。
話は変わるが、もしもの世界を文法的に捉えると、それは「仮定」である。古文で言えば「反実仮想」の「〜ましかば…まし。」、英語で言えば「仮定法」の「If S' V'p, S would(could) V.」である。普通に現代文で言えや!という声が聞こえた。「もし〜だったならば、…なのに。」みたいな文である。
さて、こんな「仮定」の文には、以下のようなものがある。
If I were him, I would never do such a thing.
我の汝ならましかば、さこそせざらまし。
俺がそいつなら、絶対そんなことしないのに。
すべて同じ意味だし、同じ仮定の文法が使われている。失恋した人の相談にのるとっても優しいナイスガイの台詞である。誰がなんと言おうと、ナイスガイである。
台詞の真意は置いておくとして、「俺」が「そいつ」である世界線は、実現し得ない世界であって、要するにパラレルワールドである。だから仮定なのである。
しかしながら、「そいつ」が「俺」である世界は、確かに存在するはずなのである。どこにそんな世界があるのかというと、「そいつ」目線の世界である。
もう少し伝わりやすそうな喩えを挙げれば、人間が
「もし自分が鳥なら、空を飛べるのになあ。」
と思っているとき、その鳥は
「自分は鳥だから、空飛べるぜ。うぇーい。」
となっていて、そこには「自分が鳥ではないために空が飛べない世界」と「自分は鳥だから空が飛べる世界」が共存しているのである。
つまり何が言いたいのかというと、パラレルワールドというものは意外と身近に、とてもたくさん存在しているかもしれない。ということである。
「自分以外のすべてのもの」が知覚する世界は、すべてパラレルワールドであるはずなのだ。
僕と彼の見ている世界が同じものであると、どうして証明できるだろうか。ガチャピンが緑色だったとして、「緑色」は果たして誰の世界でも同じ色をしているだろうか。僕が僕の意識を持ったまま、彼の世界にお邪魔したら、もしかしたらガチャピンはピンク色なのかもしれない。とか、そんなことを思うのである。
もう少し話を広げてみよう。
例えば、僕は自分を「明るくてカッコいい人気者」だと思っているとしよう。僕の世界では間違いなく、僕は「明るくてカッコいい人気者」である。
しかし、彼はどう思っているだろうか。彼はもしかしたら、僕を「煩くて騒がしい騒音野郎」だと思っているかもしれない。彼の世界で僕は騒音野郎である。
後輩くんはどう思っているだろう。「気さくに話しかけてくれる良い先輩」と思っているかもしれない。はたまた「偉そうにしているジャガイモ」と思っているかも…泣きそう…ジャガイモ…
どれが本当の自分だろうか。
たぶん、どれも本物である。僕の世界の僕は人気者だし、彼の世界の僕は騒音野郎である。後輩その1の世界では良い先輩だし、後輩その2の世界ではジャガイモなのである。全部僕である。
風呂敷広げすぎて収集つかなくなりそうな気がしてきたから、そろそろまとめに入ります。
生きとし生けるもの、全ては孤独なのだろうな。と思う。僕が知覚する世界は1つだけであり、そこには僕しかいないのである。彼が生きる世界は彼にしか知覚されず、彼もまた独りで彼の世界を生きているのだろう。
だからどうということもないのだけれど、世界というのはもしかしたら1つじゃなくて、パラレルワールドは「知覚する者」の数だけ存在するのでは…?という話でした。
それじゃ、また。
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