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歴史・人物伝~太平記・倒幕編⑤倒幕への種をまいた日野俊基
歴史・人物伝~太平記編の第5回です。
倒幕の思いを持っていたのは後醍醐天皇だけでなく、取り巻きの側近たちも同じでした。その急先鋒だったのが、日野資朝と日野俊基でした。1324年には倒幕計画を疑われ、幕府に捕らわれるまでに至ったのです。
この時は、資朝が佐渡へ流罪となりましたが、俊基は証拠不十分で無罪放免となりました。ただ、太平記は俊基が諸国を歩いて、倒幕の必要性を説きながら勢力拡大を図ったとしています。
太平記の記述通りだとすれば、俊基が楠木正成や新田義貞ら討幕の中心人物と接触したかもしれません。また、当時天台座主だった護良親王(後醍醐天皇の子)とは連絡を取っていた可能性があります。
後醍醐天皇自らが倒幕を決意した1331年の元弘の変では、再び俊基が捕らえられて鎌倉に送られます。企てを自白した者がいたため死罪は免れず、葛原ヶ岡で斬首されたのです。
さらに、佐渡に流されていた資朝も処刑され、後醍醐天皇や護良親王にも幕府の追及の手が伸びていきます。倒幕計画が知られたことで、後醍醐天皇は具体的な行動を起こさざるを得なくなり、笠置山に陣を構えるのです。
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