歴史・人物伝~謙信の戦い編⑫北関東を巡る激しい勢力争い
歴史・人物伝~謙信の戦い編の第12回です。
上杉謙信と武田信玄が死闘を繰り広げた川中島の戦いですが、北信濃での両者の対陣は1564年で区切りとなります。ですが、上杉と武田が和睦したのではなく、北関東を巡る情勢が厳しくなったからです。
61年に箕輪城主(高崎市)の長野業正が死去します。長野は武田氏の上野(群馬県)攻略の壁になっていた武将ですが、その死により、信玄は上野への侵攻の手を強めていくのです。
信玄は北条氏康と同盟関係にあり、武田氏と北条氏の共通の敵である上杉氏の勢力を関東から追い出すため、たびたび出兵しました。また、佐野昌綱ら地元の武将の抵抗も強く、謙信は劣勢になることも多かったようです。
ところが信玄は、弱体化した今川氏の駿河へ侵攻したため、武田氏と北条氏との同盟関係は破棄されます。氏康は、信玄との対決に備えて、長年敵対していた謙信に同盟を持ちかけるのです。
謙信も越中(富山県)への出兵に向け、後顧の憂いをなくすために同盟を承知します。そして、氏康の子・三郎を養子に迎え入れました。人質ではありますが、謙信は三郎に「景虎」の名を与えたのです。
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