宗教の限界と言語の限界
日本では宗教法人も信者数も減っている
安倍さんの衝撃的な事件をきっかけに、宗教と政治家の関係がにニュースでもちきりになっている。
論点はいろいろとある中で、気になって調べたら、宗教法人も信者数も日本では減少傾向にあることが分かった。(文部科学省 宗教統計調査)
人類の判断基準の歴史
人類史の中で、多くの判断基準が生まれ、それ特有の時代をつくった。 宗教もその一つだ。
日本でも神話を祭る習慣が残っているように、人類史で生まれた判断基準は今も生活に根付いているものが多い。
これからも、多くの判断基準が生まれ、新たな時代を生み出していく。
ではなぜ、新しい判断基準が生まれたのにもかかわらず、旧い基準は破棄されないのか。
足りない何かを補ってきた歴史
神話から哲学が、哲学から宗教が生まれたのは、その時代の限界を超えるためだった。
神話の時代は、部族間や地域間での人の移動は活発ではなかった。そこから人の移動が活発になるにつれ、神話を基準とした関係性が通用しなくなる。
そこで、知を愛する概念を通わせることで、秩序をつくろうとしたのが哲学だった。 哲学はその力強さや真理を探究する懐の深さも相まって、政治や法律、統治に大きな影響を与えるようになる。
ただし哲学は庶民には程遠く、自ら考え、秩序を理解することも難しいものだった。
そこで、庶民が自ら考える手段を与えたのが宗教であり、個々の生き方を導くものとして広く受け入れられ、勢力によって国を動かすほどの力を持つようになる。
その後、同じように時代は動き、その延長線上に今の私たちがいる。
結局、何かを説明する手段としての旧い判断基準は残り、それを楽しく使う人もいれば、振り回される人もいる。
新しい判断基準によって、人は自由度が広がり、新たな世界を経験してきた。結果として、人自身の不完全さは残り続け、宗教に振り回される現代人という姿になるのだろうか。
人自身の不完全さは言語から
人の言語の基本は主語+述語で形成される。
実は、ホモ・サピエンスが使い始めて生物の頂点になる現在まで、ずっと使い続けていることになる。80万年とか100万年とか言われている。
この言語体系を使い続けている限り、「自分が何者なのか」「人間とは何か」「どう生きればいいのか」を明確に理解出来ない。
人類史で生まれた判断基準は、この言語の不完全さを補おうとしていたとも言える。
言語革命は訪れるのか
主語+述語の言語を超える言語革命が起きれば、人間自身の不完全さも解消されることになる。宗教に振り回される姿は消え、自らの生き方を自ら決定していくのが当たり前となるだろう。
そんなことは可能なのか、いつ訪れるのだろうか。
言語革命の条件がある。
これらの条件を満たすことが出来る言語革命が起きれば、私たち自身も迷うことなく生きていくことが出来るはずだ。
最後に、言語革命を完全学問として伝えている人物がいる。 その動画をご紹介して、今回の記事を終わりたいと思う。
Dignity2.0国際カンファレンスとは、 尊厳を土台にした持続可能な進化・発展をつくる世界実現のために、「世界基軸教育」を提唱している日本発のムーブメントです。
心未来への出発/シン技術でつくる私の宇宙 日程:2022/10/8(土)-10/10(月) 主催:Dignity2.0国際カンファレンス
URL:https://www.dignity2.org/2022/about/
映像 https://youtu.be/mGPXUf20h18