6/15 プレイバック・シアターの感想②
昨日の続きです。
一から説明するのが面倒なので、この記事から読み始めた方は昨日の記事をまず読んでいただけると助かります…(;´Д`A
語り手をやってみた
プレイバック・シアターは、語り手が話したこと(過去の思い出など)を他の参加者が即興劇で演じ、それを皆で見守るというものです。
今回、初めて語り手になり、自分の話を他者に演じてもらうという体験をしました。
語り手になる人は皆、自分の記憶の中にはっきりした映像もあるはずですが、演じる側はその場で語り手がぽつりぽつりと話したことを自分なりに解釈して即興で演じているので、全てが語り手の記憶と同じようになるわけではありません。
だけど、私の話を即興劇にしてもらった時、その場が一瞬で2019年に私が行った沖縄のあの場所になり、当時の自分とそこで会ったおばさんがいました。
ホームビデオで過去の自分を観るのともまた違う、何とも不思議な感覚です。
そして私の話は、
という流れだったのですが、即興劇ではお参りしたあとにまた私(の役の方)がおばさんのところに戻って話をしてくれました。
即興劇だから成り行きでそうなったのだと思いますが、私はとてもうれしかったです。
ずっと、もう一度沖縄に行って、あのおばさんに会いたいと思っていたから。
だから即興劇の終盤は、私の望んでいた未来を見せてもらっているのだと思いました。
そう気づいたら、涙なしには見られませんでした。
もう一度行きたい、という思いはずっとあるけど、コロナ禍があって、私も子どもが生まれて、あれから何年も経ってしまいました。
なので、また同じ状況でおばさんに再会することはもはや不可能に近いことを、私は知っていて…
だからこそ、プレイバック・シアターに持ってきたというのもあるのですが、実際に即興劇を観たら想像以上に感動しました。
そして、私の心には「この話はこれで完結したのだ」という気持ちが湧きました。
答えの出ないもの、決着がつかないものに向き合うということ
私は無意識に、この出来事にずっと「その後」を求めていたのです。
それはたぶん、自分が旅に出るきっかけになった「流産」という出来事に落とし所を探していたからではないかと思います。
私は結果的に2回流産して1回出産できましたが、流産というところがスタートになってしまうと、妊娠出産は本当にどうにもできないことが多すぎると思いました。
(これも一種のネガティヴ・ケイパビリティでしょうか)
初期の流産は医学が介入できず、病院でも世間でも「よくあること」で片付けられてしまいます。
たぶん、今では知り合いの多くが私の流産を忘れていると思います。
そして、私は生まれてこなかった2人の子達も大事な我が子だと思っているのに、戸籍に残らないし、世間的には無かったことにされています。
仕方ないんだけど、時々思い出して複雑な気持ちになることがあります。
だから、私は何かしら決着をつけられることを探して「その後」を求めたのかもしれないな、と、あとから思いました。
(=^ェ^=)
今回の即興劇では、私と沖縄で会ったおばさん、そして同じ場所に猫がいたので、猫も含めて3人の方に演じてもらいました。
その猫は毎日、おばさんがもずくを売る場所にやってくるとどこからともなく現れて、一日一緒に過ごし、夕方におばさんが帰るとどこかへ帰っていくという、不思議な存在です。
詳細は忘れましたが、何度か出産していて、一度何かで命が危ないことがあったけど、無事だったからすごい猫なんだとおばさんから聞いたので、そのことも説明しました。
すると、ファシリテーターの羽地さんに「じゃあ、その猫はメスなんですね」と言われ、初めて「そうか、メスだったのか」と思いました。
考えたことがなかったけど、確かにそうですよね(笑)
そして、即興劇が始まる時に羽地さんが「さまざまな経験をしてきた女性たちの物語ですね」と言ってくださって、なんか些細な記憶がすげ〜ことになったな!と思いました。
で、その猫がまた、ドラマに良い味を出してきたのでビックリしました。
猫役の人が上手すぎました。
魔法でもかかってたのか?というくらい…
たぶん、あの時あれ以上猫を上手に演じられる人はいなかったと思います。
MVN(にゃん)じゃん…と思いました。
でも他の2人も猫の撫で方がすごい上手くて、その場に本物の猫がいるようにしか見えず、私はビックリして固まってしまうくらいでした。
他の語り手のドラマでもあったけど、素人でも演技が上手かったり、やたら感情移入してしまったり…
何なんでしょうねぇアレ。
即興劇って面白いですね。
私自身、猫に関しては「そういえばいた」くらいの認識だったのですが、実は結構重要な存在だったのか…と気づかされました。
物事に対する折り合いの付け方
それにしても、ずっと心の中で「その後」を求めてきたことが、こんな形で結末を迎えるなんて…
誰が想像したでしょうか。いや、誰もしてない。
というか、完結させるかどうかは全て私の自由で、別にまだまだ続きを追い求めたっていいのです。
だけど昨日の即興劇を観て、2019年のあの時から続いてきたものは一旦ここで終わりであり、そういう運命なのだとはっきり腑に落ちました。
もしかしたら今後沖縄に行く機会があって、何かしら変化が起こることはあるかもしれないけど、それはまたそれで新しく始まる別のことだな、というか…
なんかとにかく終わったのです。自分の中で。
現地にもう一度行かなければ終わらないと思っていたことが、別の形で終わった。
そういうこともあるんだな、と思いました。
これは他のことにも応用できるのかもしれないですね。良い具体例が出てこないですけど、失恋とかですか?
プレイバック・シアターという沼
プレイバック・シアターもアプライド・ドラマも毎回驚くような発見がありますが、今回も本当に驚きました。
語り手をやるって効果絶大なんだなと、身をもって知りました。
そうして私はまた、プレイバック・シアターに参加したくなるのです…。
例えがめちゃくちゃ悪いけど、アリ地獄のようです(笑)
すみません…最近息子に読んだ絵本に出てきたもので…
でもプレイバック・シアターの場合はズブズブ沈んで行って食われるわけではなく、底に埋まっている宝物を見つけられるって感じですかね。
あ、そういえば、私が語り手として話の中に「おばさんが、島で取れた塩を使ったお守りも売っていて、子宝祈願と書いてあるものが欲しかったけど、売り切れたと言われたので、残っていたものを適当に買った」というくだりがありました。
そしたら即興劇ではそのお守りのご利益が「一攫千金」ということになっていました(笑)
金運上昇とか商売繁盛ではなく、一攫千金ですよ!!!(笑)
プレイバック・シアターは思い出を書き換える作用もあるということなので、私は金持ちになることが約束されました\(^o^)/
↓これが実際のお守りなんですけど…
こういうことですね!?
やった〜!!!ありがとう!!!!!
\(^o^)/
\(^o^)/
\(^o^)/
あ〜楽しかった。