『君と夏が、鉄塔の上』 読書感想文

 『君と夏が、鉄塔の上』を読み終えた時、何ともいえない複雑な感情を消化しきれずにいた。

爽やかであり、どこか寂しく、純粋であり、どこか達観している。相反する感情が、ぐるぐると渦巻いていたからだ。

 夏休み中の登校日に、鉄塔好きで地味な少年の伊達成実に、破天荒な言動を繰り返す少女、帆月蒼唯が、94号鉄塔についての質問をするところから物語は始まる。その後、ある日突然、幽霊が見えるようになってしまった不登校の少年、比奈山優を巻き込みながら、94号鉄塔の上に座っているという着物姿の男の子の謎を解き明かしていく。


中学3年生――

思春期独特の焦燥感や、孤独感、やり場のない気持ちを持て余した少年少女の、ひと夏の不思議な冒険譚。


 最初、主人公は伊達だと思っていた。現に彼は、この物語の題名にもなっている「鉄塔」に関する様々な情報を事あるごとに提供している。しかし、読み進めていくうちに、帆月も比奈山も、伊達が所属する地理歴史部部長で工事現場好きの木島恵介や、ある意味で帆月よりも危険な存在、ヤナハラミツルも、誰もが主人公なのかもしれないと思うようになった。

――いや。もう少し正確に言うと、この物語には主人公もいなければ、脇役もいない。

のちに登場する椚彦、財前明比古、兎の面をつけた青年達――鉄塔も、全てが等しく存在している。物語が進行する為には誰かの視点を借りる必要があり、それが「たまたま」伊達だったのではないか。そう思えるほどに、全ての登場人物やモノ達が際立ってみえた。


 鉄塔に座っている着物姿の男の子の謎を追いかける中で、伊達、帆月、比奈山が抱えるそれぞれの悩みや葛藤が明らかになっていく。

忘れられる事に怯え、最後の最後で自暴自棄な行動に出た帆月を、伊達が必死に思い止まらせた。

幽霊が見えるおかしな家系だ、と諦めたような発言をする比奈山に、伊達は形の違う鉄塔達の共通の役割について語った。

自分を平凡だと思っている伊達。

帆月も比奈山も、伊達の言動に少しだけ救われたのは事実だ。この事から言えるのは、人間は誰でも――どんな人でも、知らないうちに誰かの心を救う事ができる、という事だ。

心と心は繋がり、更にそのまた先へと繋がっていく。

いくつもの鉄塔が送電線で繋がっているように、確かに彼らも繋がっているのだ。


 物語の後半で、着物姿の男の子――椚彦の居る鉄塔の天辺に辿り着いた伊達と帆月。

送電線の道を、兎の面をつけた青年達の後ろに『忘れられたものたち』が列をなし、荒川に飛び込んでいく。この場面は、読んでいて何とも切ない。けれど、93号鉄塔の建て替えで送電線がどうなるかを問うた明比古に対して、伊達は「引き継がれる」と言った。この返答は、当たり前のようでいて、当たり前ではない――この物語の本質をついているようで、とても印象深かった。


 忘れる事、忘れられる事。

どんなに忘れたくない事も忘れてしまう。
逆に、忘れたくても忘れられない事もあるだろう。どちらにしても、それは生きる為に必要な事なのだと思う。

互いが同じように覚えておく事など出来ない。

忘れられたくないと願う帆月に対して「鉄塔を見れば思い出せる」と伊達が言ったように、思い出す「きっかけ」のようなものが必要になる。

それが実際に見て、聞いて、触って、感じた記憶であり、生きるという事なのだ。


 忘れられないようにと、必死に目立つ行動をしていた帆月は、確かに誰かの記憶の片隅に残っただろう。

平凡を望んでいた比奈山は、伊達や帆月達との交流を経て、少しだけ今の自分を受け入れる事が出来ただろう。

木島は変わらず工事現場を愛し、アメリカンドッグのソーセージの細さを嘆くだろう。

ヤナハラミツルは、どうかそのままのぶっ飛び具合で(あくまで警察沙汰にならない程度に)己の人生を突き進んでいって欲しい。


 こうして生きている限り、彼らのこの夏の出来事を忘れてしまう日が来るかもしれない。

なので、定期的にこの本を開いて、彼らの夏を共有させてもらおうと思う。


 鉄塔を見るたび、このひと夏の記憶を思い出すであろう彼らを、忘れない為に。


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