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ルーツに立ち帰る
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現在のキリスト教には、大きく分けて三つの宗派、カトリック、プロテスタント、東方正教会がある。今一番の話題のロシアは東方正教会だ。
昨日のヘブニーズスタイルで、面白いことを言っていた。プーチンさんがもとソ連のKGBだったことは有名。ソ連と言えば共産主義。共産主義は無神論だ。そのプーチンさんがソ連時代の1952年、ロシア正教会の洗礼を受けていたと言う。プーチンさんのお母さんが内緒で受けさせたそうだ。
話を戻すが、
380年、ローマ帝国はキリスト教を国教に定めた。そののち、ローマ帝国が東西に分裂し、それ以来、東西の教会も対立していた。1054年にお互いが破門するという形で、西のローマ・カトリック教会と東の東方正教会に分裂した。16世紀、西のローマ・カトリック教会に抗議して(宗教改革)、プロテスタント教会が誕生した。これが三つの宗派ができたあらましだ。
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1054年の東西分裂の600年前、ネストリウス派は異端とされた。ローマ帝国が東西に分裂したのが395年、ネストリウス派が異端と判断されたのは431年、西ローマ帝国が滅亡したのが西暦476年だ。異端とされた理由は、キリストを脇におく形で加熱する聖母マリア信仰に反対したためだ。
このネストリウス派の人々が東方に渡り、中国で景教と呼ばれた。それが日本にも入って来た。
学校でそのようなことは習わないし、そう言う学者も少ないようだ。だから、こういう話は都市伝説として、片付けられるのだろう。けれど、教科書の偏り(=プロパガンダ)をあちらこちらで見つけ、内容よりも誰が言ったかを重視する学者世界を垣間見、この茶番を体験し、トンデモと言われる話のほうが辻褄が合うことをいくつも見てきた。だから、すぐに採用することはなくても、却下することはしない。
私はキリスト教が嫌いだ。そもそも権力やお金が結びついた宗教は全て嫌いだ。私が思いうかべていたキリスト教は、戦国時代以降に入ってきたキリスト教。宣教師の背後には植民地支配がある。
でも、そのずっと前、今から1600年くらい前に入ってきて、私たちが日本的だと思っているものの根底にあるものが、景教と言われるキリスト教だったら?
言われてみたら、納得できる話がたくさんあるし、知らなかったこともたくさんある。
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著者のケン•ジョセフと彼の父親が長年にわたって日本で研究したところによると、ザビエルよりはるか以前から、キリスト教は日本に伝わっていて、日本の文化、国家形成に大きな影響を与えていた。
じつは今でも、その文化的影響が日本に色濃く残っている。
古代シルクロードを経由してキリスト教文化と思想は、景教徒(ネストリウス派キリスト教徒)と共に古代日本に伝わっていたのだ。
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景教を日本に伝えた中心を担ったのが秦(ハタ)氏だ。
私の個人的なところからすれば、支持したい話。私の両親は同姓だけれど、どちらも「ハタ」の発音に近い。もし、「中東系=鼻が高い」であれば、私の母は魔女の鼻だ。私は母ほどでもないけれど、低くはない(笑)。
そう思うと、15年前、生きる元気がなかったどん底のときにフッと現れたのがイエスだったのは、私の血、ご先祖様が、呼び寄せたのかもしれない。そう思うと嬉しい。
「彼らのテーマは立ち帰りだったんだよ」と。 天草のその元町長さんは、クリスチャンではありません。ただ、その時代のことに興味があって勉強しているという方です。でも、お話を聞きながら、その「立ち帰り」という言葉が強烈に私の心の中に残りました。 今私はこの本を書いていますけれども、そのテーマは「ルーツ」です。ルーツを見いだして、それに「立ち帰る」ことをテーマとして書いています。国のルーツ、また個人のルーツ――それに立ち帰ることによって、本来の道が開けてくるのだと。 興味深いのは、当時のキリシタンの人たちにとっても、自分のルーツ、信仰の原点に立ち帰ることが、彼らを勇敢な者として、しっかり立たせたということです。
キリスト教が大嫌いだから、どうしてイエスなの?とずっと思っていた。でも、その答えになるような出会いもなく、15年が過ぎた。この茶番は色々と騒がしくて、鬱陶しいのだけれど、その意味を知る出会いがいくつかあって、自分のルーツを見いだして、「立ち帰る」ことができた。
こんな記事を書いたのが半年程前。「立ち帰る」場所が、生まれ育った土地でもなく、親でもない私に、ちゃんと分かるように仕向けてくれたのだろう。「立ち帰ることによって、本来の道が開けてくる」というのは、まさにそのとおりで、以前の私には考えられないこと。
そういう意味でも、先ほど引用したヘブニーズの動画の続きが興味深い。プーチンさんが「いつから神を信じるようになったのですか?」の問いに対して、次のように答えている。
「とてもプライベートな質問だね。人前で話すのはとても難しいことなのだが、しかし、私は、すべての人が、生まれながらにして、神を信じていると思う。魂の中にそれを持って生まれてくるから。でも、人によって、それを理解し始める時期や状況が違う。・・・極限状況でなくとも理解できる人はいるが、極限状態に陥った時、ほとんどの人が神のことを考えるのだ」
1:14ごろ
深いよね。私も極限状態のときだったから。それから、私のような”小物”でも、自分に割り当てられた仕事はなんだろう?って思うくらいだから、プーチンさんのような”大物”は何を思っているのだろう。そう思うと、聖書預言が成就する方向に進むのではないかと思う。