中毒
アメブロを始めたのは何年前だろう。もう10年くらい経つのかな。精神医療の実態を知って、学ぶことや思うことがたくさんあった。それらを書かずにはいられなかった。それからずっと「書きたい中毒」。
本や講演で学んだことをちゃんと頭の中に落とし込むためのアウトプットの場として、ブログやFacebookは手っ取り早かった。また、頭の中のモヤッとを言語化し、自分の考えていることを整理することもできた。他人に分かるように説明するということは、自分にも分かるように説明することだから。そうすると思考の展開が速くなる。それがまた面白い。
でも、ここに来て、ようやくこの「書きたい中毒」から卒業できるかもしれない。
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この分かりやすい茶番でさえ茶番だと思わない周囲。この騒ぎはおかしいと思っている人であっても、医療を信じている人は多い。私にすれば原理は同じ。
例えば、最近、同居を始めた高齢の姑。液体は打っていない。でも、インフルは打っているし、多剤処方もいいところ。1日14剤も飲み、目薬は5本くらい差している。血圧関係の薬だけで5剤。それで時々ふらふらすると言うが、それは歳のせいだと本人も周囲も思っている。血圧の薬の飲み過ぎだと言う人は誰もいない。14剤のうち、12剤を同じ病院が出している。多すぎませんかと医者に言ったら、「薬を飲んでいるからこそ、この数値に収まっている」と言う。他で不調が出ようと、標的が薬によって目標値に近づけばそれでいいというのが現行医療。
今、キャンペーンをやっているアレ。副反応なんてどうでもいいという姿勢も、現行医療そのものだ。
減薬して、好転反応のような不調が出たら、姑も周囲も「やっぱり薬を飲まなかったから悪くなった」と言うだろう。それが一時的であったとしても。処方薬の副作用はしょうがないと認めても、代替療法など他のことをやってみて、一瞬でも悪化するものは容認できない。そういう思考回路の人に何を言っても無駄だし、そういう人ばかりだということは、痛いくらいよく知っている。
長年通院している医者との関係を壊すのもどうかと思うから、黙認することにした。
こうやって高齢者が湯水のように使う医療費を、子どもや若者の生活向上に向けるべきだ。それが分かっていて黙認するというのは罪深い。でも、実の親じゃないからしょうがないと言い訳し、淡々と接することしか、今の私にはできない。
要はアヘン中毒者とどうつきあうのかということだ。アヘンが良いものだと信じてラリっている人、つまり気づきのない人から、アヘンを取り上げることは得策なのか?
私には答えがない。だから、お天道様に判断をお任せすることにした。
そう、全てをお天道様に任せる。
そうなると、私が思い悩むことは無くなってしまった。書きたいことが無くなってしまうということだから、「書きたい中毒」からも抜けられるかもしれないということだ。ちょっと寂しい気もするけれど、新しいステージに入ったということかもしれない。