![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/70016121/rectangle_large_type_2_28cc347ec12a40ed7cc4d66c1c9b1640.png?width=1200)
笑顔を取り戻す
日本人ってこんなに笑っていたんだ。
この笑顔を見ると、いかにこの国の人は、今、不幸のどん底にいるのかが分かる。しかも、今はそれさえ布の下に隠している。
あちらさんに、長い時間かけて、してやられたことが痛いほど分かる。でも、「○○が悪い!」と言ったところで、悪いのは分かっていることだから、言うだけ時間のムダだ。じゃあ、どうすればいいのかを考えていかなければいけない。
![](https://assets.st-note.com/img/1642295488194-QN3b2bwpFd.png)
家庭科の免許を取るときに、お子さんが幼稚園くらいの学生(家庭科以外の他教科の先生)が何人かいた。その人たちが「”今時”の子育ては大変なんです!」と言っていた。その「大変さ」を行政サービスに肩代わりさせていくことがよい社会に繋がることで、それは「権利」でもある、ということだろう。子育てを自分でやるなんて、いや「できる」という状況は、贅沢な話だとのことだ。
「今時の子育て」は、本当に大変だと思う。どう大変かは、子育て中の先生たちと、子育てが終わった私が思うものとは違うと思う。それについて議論をしたところで、意味がないので、ここでは取り上げない。
実は、私の親世代、実家の母も姑も、つまり今の後期高齢者も同じことを言っている。「子育ては大変だった」と今でもよく言う。
私が子どものとき、母は長女の私に「子育ては大変だ。しかもウチは3人もいて、(母の)実家が遠くて何の援助もない。本当に大変だ」とよく言っていた。
だから、私はできるだけいい子になろうとした。今じゃ考えられないけれど(笑)。私という存在が親に迷惑をかけているというのはずっとあった。その一方で、じゃあ、「どうして実家から遠く離れた人とわざわざ結婚し、子どもを3人も生んだのか」ということをずっと思っていたし、動物だって子育てしているのに、とも思った。
私も子どもを3人生んで、育てた。大変と言っちゃ大変だったけれど、楽しいというか面白かったというほうが勝っている。さらに、私の記憶システムはとても都合よくできているので、思い出すのは、面白かったり、楽しかったことばかりだ。
私の祖母は、夫(祖父)を若くして亡くし、5人の子どもを育てた。そりゃ、大変だったと思う。でも、祖母に「大変だったでしょ?」と聞いたら、「忘れた」と言っていた。
どこを指して「大変だ!」というかは、人それぞれだろうし、「大変だ!」と思う感度も違う。
きっと、あなたが恵まれていたから、「それほど大変じゃなかったのよ」とは言われた。私も今で言うワンオペ育児。働いていないからと行政の支援も受けられなかった。
実家の祖母の介護は、同居していなかったから、それほど「大変だ!」は聞かなかった。でも、父の兄弟が祖母をたらい回しにして、最終的に長男の嫁である母のところに介護が回ってきたことについては、時々こぼしていた。
でも、・・・
私はおもしろおかしく、姑と暮らそうと思う。
子育てが母が言うほど大変でもなかったから、今度は、姑と暮らすことも大変じゃないことを証明したいと思っている。
![](https://assets.st-note.com/img/1642296165754-m8ovWzMidp.png)
仕組みは分かっている。
「子育て」も「介護」も、労力がお金にならない。無料奉仕をすることは”損”だ。それを私がやらなければいけない。だから「大変だ!」となる。子育てされる子どもも、介護される高齢者も、「申し訳ない」という気持ちになる。
「大変だ!」と言って無料奉仕するほうも、「申し訳ない」とそのサービスを受けるほうも、笑顔が消える。
「子育て」にしろ「介護」にしろ、自分の楽しみをそこに見いだせばいいじゃないの?と私は思う。そもそも家庭の営みの中で区別することなく為されてきたことを、「子育て」だとか「介護」だとかという言葉でくくりだしたことも問題だと思う。
あちらさんは、着々と日本人の精神性を壊してきたと言われる。精神性というのは笑顔に現れるのかもしれない。つまり、日本人の笑顔が破壊されてきたということだ。
茶番に従わない、お金にならない仕事をする、しかも笑顔でやる。
あちらさんへの究極の反抗だ。周囲はたぶん、物好きだと思うだろう。それをそのまま口にするか、気持ち悪い褒め方をするかのどちらかだ。くだらないと思う。
正しいことをするときは孤独になる。・・・親兄弟夫婦でも敵になるときがある。それができないと正しいことはできない。
「正しい」って誰が決めるのかってことがあるから、「正しい」という言葉は注意が必要で、私は使わない。
少なくとも「日本人の笑顔を取り戻す」ことは、あちらさんにとっては「正しい」ことではない。だから目標にする。そのために、あちらさんに踊らされている我が子と死に別れることになるかもしれない。
15年前にどん底に落ちたとき、親兄弟と社会を捨てた。今回は我が子かぁ。
夫は?捨てるも何も、お互い便利だからというビジネスパートナーのようなものだから。あっちはどう思っているかは分からないけれど。
そういや、今日は結婚記念日だ・・・