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よく待ったよ、2年間

というこのタイトルの言葉は、母が昨日私にかけてくれた言葉です。

「一緒に仕事がしたい」

と、長く、今も言い続けてくれる方がいます。

その方が作る予定だった会社で働く予定だったのですが、お相手にも都合があったりで、私の方が待てる限界を迎えたのが夏でした。

そしてこの度の内定取り消しの会社様とご縁があり、年内フリーランス→年明けから雇用というお話のもと活動をしてきたのですが、このような事態になり。

落ち込む私に、母がタイトルの通りの言葉をかけてくれました。

もともと「起業」ありきの転職だったら、その「起業」する会社が出来上がってから前のお仕事を退職すべきだったのですが、それが先に私の方が退職にいたったのは、私の自分メンテナンスの方のことに絡んできます。

通院しながら働くのは、なかなか難しいですね。回復したくて病院に行ってるのに、悪化させに仕事してるように感じる日々が続き、そっちが先に限界を迎えたのです。

その方にとって、おそらくこの「起業」は、「いつかやりたい」という気持ちの「起業」で、それがはじめから「このタイミングで」というものではなく、「一緒に仕事がしたい私が辞めた」がその大きな部分を占めていたので、「起業」が遠のいてしまうのは仕方がなかったのかなと思います。

今は、違うようです。1歩踏み出して掴んだ手応えが、起爆剤のようです。がんばれ~!!


ただ、私とは、

一緒に仕事がしたいのか。

一緒に何かをしたいのか。

一緒にいたいのか。

ただ、「一緒」がいいのか。


自分で言うのもなんですが、自分メンテナンスでは、「あなたはその人の本当に右腕だったんだよ」と言われますが、、、、退職してしまえば、右腕じゃなくなるわけで。。。

おそらくは、「一緒に仕事がしたい」なんですよね。


「戻ってきて欲しい」

というありがたいお気持ちを、どうやったら形にできるか、ということなんだと思うのです。それが「起業」だったのかな、なんて、振り返ると思います。

そうだとしたら、「戻ってきて欲しい」と言ってくださることがすごく素直ですっきりするのですが、それが一国一城の主であればいいのでしょうが、多数経営の中だとコンセンサスを得るのが難しい。

その方もその方の世界で大きなジレンマを抱えているのかなと思います。

ただ、母に、

あんたよく待ったよ、その状況で2年も。あんたも本当にやりたかったんだよね。そうじゃなかったら、その話も最初からさらーっと聞き流して、「いや、私しりません」って言えたろうに、本当にやりたかったんだよね。

と言われて、「あぁ、そう。そうなんだ。本当にそうなんだ。悔しいんだ。」と、自分の気持ちを噛み締めました。

私はその方と同じ道をたどる予定は今のところありませんが、その方が「ついに形になるよ!一緒にやりたい。一緒にやろう。」と声をかけてくれる日を、こころのどこかで思ってるのもまた、事実です。

仕事の話は右往左往でつらかったけど、それでも、こんなに「想い」のつまった雇用主に、私は後にも先にも出会えないと思っているから。

その方にとっての「右腕」は、私にとっては、右腕をくっつけるための「大切な体」だったのです。それは、「大切な体」と「右腕」がくっつくことで、成り立つのかなと、思ってます。

形になっても、ならなくても。

「右腕」になれて、本当に嬉しかった。

本当に、しあわせだった。 

ありがとうの気持ちで、いっぱいです。


また「右腕」になれる日が、そう遠くない未来に、私がこの街にいる間に、叶いますように…

叶ったら、私はきっと、出ていかないから…。


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