2024年5月18日 土曜日
行こうか行くまいかうだうだしてるうちに、ついに雪下まゆさんの個展最終日になってしまった。正しくはwatabokuさんと雪下まゆさんの二人展『分身』である。
数年前にまゆさんの個展があり、その時行けなかったから今度こそはと思ってたのに、最終日となってしまった。
しばらくうだうだしていたが、突然やる気スイッチみたいなものが入って、会場のカフェである下北まで自転車で行こう!と思い立ったのが12時頃。メイクをして家を出たのが13時過ぎ。
気温は高いが湿度はない。だから暑いけど何とか頑張れる。途中灰皿の置いてあるコンビニで飲み物飲みながら一服して一休み。
途中、三茶を通る。働いてた時のことを思い出して懐かしくなる。お昼ご飯を買ってたコンビニ、帰りに寄ってた無印やLUSHや西友。結構そのままだった。ここで働いてた時、東北の震災が起きて帰れなくなったんだよなあ。心霊ビル・ヨコザワプロダクションも近いのかなあ、なんて思ったりする。
土曜の下北は賑わっていて、自転車だと普通には走れない。韓国人なのか、韓国人の真似をした日本人なのか、どちらか分からないファッションの若者が目立った。自転車を停めてカフェに向かう。
カフェの入口で今度行われる、山田さんの三人展のフライヤーを見つける。思ったより中はこじんまりしていたので、すぐまゆさんを見つけることが出来た。
まゆさんはカウンターに姿勢良く座って、ミルクティーのようなものを飲んでいた。声をかけてラジオネームを名乗るとすぐ分かってくださった。想像してたより倍綺麗で、倍華奢だった。髪は金髪ではなく暗くなっていた。まつ毛が長くくるんとカールしていて、唇がグロスでつやつやだった。
ラジオの話などをしたあと、絵の説明をしてくださった。中でも印象深かったのは、赤い髪をした女の子の絵。苦しさから生まれた作品だと知った。
ネットやコロナやコンプライアンス、生きづらい部分もたくさんあるけど、その中でも一筋の光を自らの瞳で捉える強さと賢さ、そういったものを感じた。
そういえば私が初めて刺青を入れたのは、生きるのを諦めてしまいそうになった時だった。自分の体がここに在ると感じられないくらい弱くなっていた時だった。刺青を入れることで、私の体にしるしがあることを目で確認出来、痛みを感じられることで、生きているということを確かめたのだ。
watabokuさんのことは勉強不足でよく存じ上げなかったけど、山田さんのストーリーズにたまに出てくるので、絵を観れば分かった。watabokuさんも在廊されていたので、山田さんから知りました、と伝えられた。watabokuさんと山田さんはお店(飲み屋さんかな?)で出会ったそうだ。この日、吉田山田は宮城でライブだった。
私が刺青を入れた時、そばに誰も話す人がいなくて、そうすると他人から見た自分はいなくなってしまって、自分でも自分が存在してるのが分からなくなった。
今回の二人展はお互いの絵を「コピー」するという案で、そういう相手がいるってすごく良いなと思ったし、まゆさんが挫けそうになった時、あの赤い髪の女の子の手を握ってくれる子がいて、本当に良かったと思った。生きてこそ、だ。生きてるから、こうして今日お二人に会えることが出来た。
ラジオを聴いてたら吉田山田に出会って、その辺りから投稿したり爆笑問題カーボーイも聴き始めて、まゆさんに出会って、山田さんを知ってたからwatabokuさんも繋がって、吉田さんはカーボーイのリスナーで。
絵を観られたことももちろん良かったけど、まゆさんとwatabokuさんという人に会えてお話出来たこと、すごく貴重な時間だった。お二人とも、次お会いする時までどうかお元気で。死ぬまで生きましょう。
帰りも自転車で長距離を走る覚悟を決めて走り出したが、どうもタイヤの調子が変で、もしかしたらパンクかも?と思い、少し走らせたら小さな自転車屋さんがあったので見てもらった。幸いパンクではなく、空気が抜けてしまっていただけだった。年季の入った職人のようなおじいさんが直してくれた。工具で汚れた手が美しかった。
多摩川を渡る時、夕日が沈む頃だった。大好きな多摩川の風景を何枚か写真におさめた。キャッチボールをする人、ランニングをする人、キャンプなのかテントも見当たった。
運動不足なのに突然自転車で3時間近く走ったのは、極端でさすがに疲れたが、行って良かったという満足感に満ち足りていた。美しい一日、関わったすべての人、ものにありがとう。