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2024年5月23日 木曜日

昨日の反省を活かし、今日は出かけることにする。
ミートソーススパゲティを作って食べた後、もうすぐ近所のばら苑が閉まってしまうので行くことにした。しかし低気圧で化粧してる間、何度も「やっぱやめようかな…」という気持ちがよぎる。何とか気力を振り絞って支度を済まし、自転車で向かう。曇ってはいるが、半袖でちょうど良いくらいの陽気。
方向音痴だから迷わないか心配だったが、案外すぐに着いた。駐輪場で自転車を停めてからばら苑まで10分ほど歩くのだが、坂道や急な階段があり結構キツい。気温も上がって来てじりじりと汗ばむ。それでも登りつめたら、ばら苑が見えて来た。初めてじゃない、何度か来たことのある風景。今年は終わり際に来てしまったので、ばらも散り際のものが多かったが、散りそうなものも散った花びらも含めて美しかった。

しかし私はやはり、世間一般的に「綺麗」と言われてるものを撮るのが、苦手だし下手だと思う。もちろん花や自然は綺麗だと思うし見てると心が健康に豊かになるけど、写真に撮りたいかというと、他にいっぱい魅力的な被写体がある。私にとって花よりも洗濯物や、食べ残しが乗ってる皿や、ごみ捨て場や、取れかけの化粧の方が綺麗だと思う時があるの。
人間の顔も同じかもしれない。黄金比と言われるような美形より、何処かアンバランスだったりする方が、フォトジェニックだし魅力的だと感じることが多い。

ここへ来る度、結婚していた時のことを思い出す。夫の車でよく来たからだ。今日も坂道を登りながら、その時のことを思い出していた。
結婚生活はものすごい遠い記憶で、だからこそ美化されてるのか、嫌なことがほぼ思い出せず、本当に人生であんな素晴らしい日々があったのかどうか、今では朧げになって来てしまっている。何ならいっときパラレルワールドに行っていたのかなと思うほど。でも確かに一緒に住んでた場所も行った場所も存在してるし、写真もある。あの日々、真実なのか。
こんなに時が経ったけど、今も私は同じ場所にいて。彼は…彼はどうしているのだろう。存在してるのかな。彼が今生きていて元気に暮らしていたとしても、私は彼の姿はもちろん風の噂さえ聞けない。そういう存在を考えると、人と死に別れるって物理的なものだけじゃないなと思う。

夫が撮ってくれた、ばら苑での私
そして著者近影

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𝑠𝑎𝑘𝑎𝑖
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