山路佐里と初めて会った時のことは、正直覚えていません。
山路佐里と初めて会った時のことは、
正直覚えていません。
「初めて会った時のことを、今でも覚えています」
という方がドラマティックなんでしょうが、
正直、覚えていません。
「覚えていないのはなぜか?」
と思い返してみると、
「それだけ印象が薄い存在だった」
というのが、
当時の彼女でした。
そこから
弊社がマネジメント業務の活動を休止するまでの7年間をご一緒することになりましたが、
一番手がかかり、一番未来が予測できた人でした。
結果、
こちらのマネジメント方針を理解して活動してくれている時は、
非常に結果が出た人でした。
逆に、
こちらのマネジメント方針を無視して、
ワガママと自己正当化な意見を並べた時期は、
あれよあれよと崩れていきました。
「付き合う男を間違えると、こうも崩れるんだな」
と、
まるで周りに教えてくれているようでした。
このような議論を
何度も何度も重ねながらの7年間でした。
東京国際映画祭のレッドカーペットも歩いた
山路佐里の栄光と転落。
そして、
これからの未来予想を
私なりに記したいと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?