夏休みの読書感想文⑤|自分とか、ないから。
1日で読破してしまった…。
『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』著者 しんめいP
人生に悩むととりあえず占いとか行っちゃうタイプの性格なんだけど、
少し前に体調を2ヶ月くらい連続的に崩したのが最初のきっかけで
神様、仏様、ちょっと飛んで「空海」について知りたいと思うようになった。
本屋で空海に関する本をいくつか立ち読みしたりしたけど、、
分厚すぎたり、言葉が昔の言葉すぎて理解しにくかったりで
なかなかこれを読もう!
っていう空海の本に出会えなかった。
そんな中で、web検索で引っかかって知ってはいたけどこの本が本屋で平積みになってるのをみて
パラパラと冒頭をちょっと読み進めた瞬間「買お。」ってなった。
32歳
無職
「働く意味」がわからない
「虚無」
今の自分か?って思うくらい共感しまくり。笑
(私も今はフリーで嫌々半分に仕事してるけど半年前までは無職だった)
冒頭からめちゃくちゃ読みやすいしおもしろくて(笑える方)ページがすすむすすむ…
で、
読み終えて。
現在進行形で自分のやりたいこととか、自分にとってのわくわくを探してる私にとって一つ選択肢が増えた
からっぽになること。
今でもたまに、なんだかふわふわするな、と思う瞬間がある。
自分が自分でないような…
自分が見ているようでその中にいるもう1人の自分が見ているような…
何かをやりたいようで何もやりたくないような…
私はそれを、
1人で地方に住んでるせいで誰かとする何気ない会話とか、人との関わりが減ってしまったからかな、とか
治療中の抑うつや不安症の延長かな、とか
何か悪霊みたいな悪いものに取り憑かれてるのかな、とか
考えたりして、
いつかはその状態から脱したいと思ってた。
でも、もしかしたらこれが「悟り」…なのか…?
たぶん絶対違うんだけど、
自分は無であり空であると実感するのが悟りで、
その実感は、自分のためじゃなく世のため人のために生きる時に感じられるものっぽいのだ。
でも、
「自己犠牲」との違いはなんだろう。
私の仕事のモチベーションの源泉は、自分にはない。
一緒に頑張ってる同僚のため、とか
尊敬してる上司のため、とか
慕ってくれる後輩のため、とか
じゃないと、本当の意味で頑張れない。
限界突破するほど頑張ろうと思う時は、たいてい誰かのためだったりする。
…これ書いてて思ったけど、
普段一緒に住んでない両親のために頑張れたこと、ないかもな。
でも、たまに思い出したように仕送り出来るだけ送れるように頑張んなきゃ、とは思う。
で、
気づいたのが、
わたし、頑張ってる姿を近くの誰かに見ていて欲しいのか?と。
でもよく頑張ったね、って言われたいわけじゃない。
どっちかって言うと、頑張ってる自分を誰かに見せられてることが、自分が自分を肯定できることの一つなのかもしれない。
自分を否定しては励ましてを繰り返してきたここ数年、
私の自己肯定感は着々と下がり続けてた。
でも、毎晩最後の1人になるまでオフィスに残って仕事したり、
毎週休日出社したり、
とにかく頑張ってる自分を見てもらうことで
なんとか自分を保ててたのかもしれない。
でも、結果が全ての世界でそんな経過は無意味だったことを思い知らされた。
頑張った分評価されるんじゃない、結果が出た分評価される。
結果を出した分、じゃない。
結果が出た分、だ。
じわじわと思い知らされていった自分のメンタルはいつのまにかヒョロヒョロになっていた。
心はボロボロだったけど、笑顔で会社を辞めた。
会社のため、一緒に頑張る同僚のためと思ってだけどそれはたぶん悟りじゃなくて自己犠牲による承認欲求だったのかも。
この本には共感できる部分がそれはもうたくさんあった。
私も独立してから札幌⇆東京を月一で行き来する生活をしている。
この前東京に行った時は飛行機を降りた瞬間東南アジアかっ?!てくらい蒸し暑くて同じ日本とは思えなかった。
海外から帰国した時も、全く同じ時間の流れの中で同じ時代を生きているとは思えない感覚になる。
なんだかパラレルワールドを行き来したような感覚。
東洋哲学でいうと、それはフィクションからフィクションの移動で夢のようなもの。
会社からフリーランスへの転身も、フィクションからフィクションへの移動。
今こうして生きることにあがく自分もフィクション。
まぁ、たしかに。
そう思うとすこし見方が変わって楽になるのかも。
いわんとすることはわかるし、なんとなく実感することもある。
宗教とかって、自分のものにするには時間も知識も全然足りなすぎるけど…
とりあえず、
知りたかったことを知りたかったレベルで楽しく知れた本だった。
当たり前なんだけど、数百年も語り継がれるほどの人から学ぶことは多い。
どの時代の人もみんな、
「自分のことがわからない」っていう悩みを持っていて、
その悩みから解放されるために生きた人もいる。
私はそれを生きる理由にしたいとは思わないから早めに自分にとっても納得のいくものを見つけられたらなと思う
私にとっての命を燃やせる対象であり、
心のビートであり、悟れる何か、
見つかるんだろうか、見つかるといいな、
全てを失ったら見つかる可能性があるならそれは最終手段にとっておこ
高野山、行きたいなぁ