【さとり#20】One Heart流 「さとり」の探求。苦しみの根底には「欲」がひそんでいる。
こんにちは。
お盆ですねー。
先日の神奈川県での地震、すごく久しぶりに緊急地震速報の音を聞いてちょっとびっくりしました。
名古屋から車で移動してきて、家に着いて10分ほど経ったタイミングでした。
「大きいのかな?」と思っていましたけど。
たしかに揺れは感じましたが、思いの外発表された震度ほど大きくは感じませんでした。
20分ほど前まで、厚木市のあたりを通っていたので、少し遅い時間に通過していたら・・・。
車の中で聞く「緊急地震速報」はまた、違って聞こえるのかもしれません。
不安なニュースも聞こえてきますが、まずは自分ができることをしっかりやっていきたいと思います。
さて、今日は有料マガジン『”差”取り(さとり)プロジェクト!ひとつの世界で生きていく』の内容になります。
今日の内容は、まさに「右往左往しない生き方を手に入れるためには」がテーマになっています。
前回のnoteはこちら。(後半はご購読者さま向けとなっております)
今回は、最後までお読みいただけます。
最後にわたしからの質問もあるので、
ぜひ読んで質問について考えてみてくださいね。
今回、引用したご著書はこちら。
✧˙⁎⋆エックハルト・トール著「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」
1. ”苦しみ”の根底には、たえまない欲望がある。
人間の集合意識が、”不安”にフォーカスされている。
それは、「エゴ(脳)」という存在がそう考えることで起きていることです。
でも、「エゴ(脳)」がダメなのではなく、「エゴ」さえいなくなれば幸せ、ということでもなく、いかにして、「エゴ」と共存するかということが大切になってくるのです。
だって、エゴはいい意味で、私たちを行動させてくれる原動力だからです。
「エゴ」がなければ、行動できない、といってもいいかもしれません。
〇〇したい!と思うのは、「エゴ」の意識。
純粋にそれがしたいのか、邪(よこしま)な気持ちでそれがしたいのかは、わかりませんが、したい、という欲望は、「エゴ」の存在があるからなのです。
ポジティブにしろ、ネガティブにしろ、「エゴ」という存在は、わたしたちを行動に導いてくれます。
もちろん、「しないこと」も「しない」という行動ですから、「エゴ」によるものだと思います。
わたしたちが生きている以上、「エゴ」との共存は欠かせません。
「エゴ」という表現がお好きでなければ、「自我」とか「脳」で置き換えてもいいかもしれません。
それを、いなくなればいい、と思ってしまうのは、逆に「エゴ」を強めてしまい、現実をもっと歪めてしまうことになるので、自分の「エゴ」はこうなんだ、ということを知っていくことが大切だと思います。
ある程度、「エゴ」をポジティブなものに変換できるので、ご自分の「エゴ」について、観察してみることをおすすめします。
たとえば、同僚の〇〇さんが、出世した、としましょう。
自分自身、とてもモヤモヤし、ちょっといらだちも覚えたとしましょう。
自分の中で何が起きているのか。これは、「嫉妬」です。
本当ならば、”喜ばしい”ことなのに、素直に喜べずに、モヤモヤして、腹がたっている。
”どうして、自分じゃないのか?”という疑問がわいてきているのです。
それと同時に、”自分も出世したい”という『欲』があることに気づかなくてはいけません。
ただ、相手を非難、怒りの対象とするのではなく、そこにある、自分の内面を観察するのです。
素直にね・・・。
どうして私は、素直に喜べないんだろう?と自分を責める必要もありません。
相手を非難、怒りの対象にしている、ということは、『自分自身を非難、怒りの対象としている』ということなのです。
ここ、みなさんに理解して欲しいのですが、相手が対象なのではないんです。
出世できない自分を非難しているんです、自分自身が・・・。
そんな自分は、そう思っている以上、いつまでたっても出世できません。
出世した相手を喜べる人は、出世していない自分を許容できているんです。
許せないのは、相手ではなく、自分自身なんです。
逆なんですね。
「エゴ」って、こういう本来の道の”逆”の考えを持っているので、現実がまったく逆の現象を引き起こしていくんです。
パートナーや身近な人に対して、いつもいつも不満を言っている人は、自分自身に刃が当たっていることに気づかなくてはいけません。
相手を非難しているのではありません。
自分自身を非難しているのです。
そう思ったら、今すぐ、愚痴言えなくなるでしょ、笑。
愚痴は、自分自身に対する『愚痴』だから。
そして、脳は、自分が話した言葉の”主語”を理解することができません。
誰に対して言っている言葉でも、すべて、『自分自身』に言っている言葉として記憶していきます。
心の中の言葉も同じです。
口に出す、出さない、かかわらず、すべて自分から発せられた言葉は、主語が、『自分』です。
これは、驚き・・・ですね。
こうやって、潜在意識に記憶されていくので、本当に身近にいるパートナーや子供に毎回同じことを言っている人は、要注意です。
自分自身に言っている、って、気づくのは、「いま」です。
早くしなさい
もっとちゃんとしなさい
〇〇してくれたらいいのに
あの人はいつも愚痴っぽい
ささいな、他人への言葉も、実は、自分自身への言葉と置き換えると、「言葉」がいかに大切かわかります。
真意でも、悪意でも・・・。
発した言葉の主語は、自分・・・です。
2. 「いまに在る」ことで、意識の光が輝きを増し、「無意識」なものは消えていく
「意識する」というこことば。
言葉というのは、とても限定的なので概念をつくりだしてしまうのですが、ブログでは言葉で表現するしかないので書いています。
「意識する」ということを、内面の光り輝く”魂”からの視点でみて、”溶かす”という表現をしているのだと思います。
ネガティブなものは、意識的になることで溶けて消えていく、ということ。
自分の内面に「無意識」でいるからこそ、ネガティブになる、といってもいいかもしれません。
それは、「観察」です。
そこに、ジャッジはいりません。
「いい」「わるい」「いいな」とか、「やだな」とかの判断をしないで、ただ、自分の内面を観察する。
ジャッジしないでみるというのは、初めは難しいかもしれません。
わたしたちは、なにごとも、「いい」とか「わるい」とか決めつけることでものごとを判断してきた傾向にあるので、それをジャッジしないで、と言われても、ついついしてしまいますよね。
ジャッジしたらそれでいいんです。
ジャッジした自分を認める。
「あー、いいとか悪いとか決めつけちゃったなー、わたし」って、思うだけでいい。
誰かに対して、怒りを感じていたら、「怒った私はダメだな・・・」とか「イライラしたらダメ」とか考えてしまうけど、人間なんだから仕方ないよね、とそれ自体を認めるクセをつけていきましょう。
それが、「意識的であること」になるのです。
光(意識すること)でネガティブな気持ちを溶かし、しばらくすると、なくなっているのがわかってきます。
それの、繰り返し。
自分のイヤなところを発見したら、「人間なんだから、そんなところもあるよねー」ってよしよし・・・ってしてあげましょう。
それが、「受け入れる」ということ。
「ゆるす」ということです。
人は、他人のことが許せないのではなく、”自分自身”が一番ゆるせない存在なのです。
誰よりも一番ジャッジが厳しいのが自分自身だということを知るだけで、相手への批判の気持ちが減っていくのではないでしょうか。
最後にみなさまに質問です。
答えられなくても大丈夫。
いつか、その答えはベストタイミングでやってくるから。
今日はここまでです。
今日も”愛”あふれる一日をお過ごしくださいませ。
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「さとり」とはまさに”差”取り。 人やものごととの”境界線”をなくしていくことで、人生がイージーモードになります。 客観的な視点でものごと…
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