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【さとり#7】One Heart流 「さとり」の探求。思考を俯瞰するようにみる。

こんにちは。


ピアノ講師、メンタルコーチの「One Heart」です。


このnoteは、有料マガジン『”差”取り(さとり)プロジェクト!ひとつの世界で生きる』におさめています。



わたしたちは、「ひとり」では生きていけません。


他人がいるから、生きていられる。


ということは、ある意味
”生かされている”ともいえるのではないでしょうか?
(仏教哲学みたいになってきました)


ほんとうの意味で、ひとりでは生きられないんです。


毎日食べるものだって、コンビニやスーパーがあるから食べ物を購入できる。
飲食店があるから、気軽にごはんが食べられる。


移動だって、鉄道会社が電車を運行してくれているから移動できるんだし、車も自動車会社が車を作ってくれるから運転して好きなところへ行くことができる。
タクシーも運転してくれる人がいるから、乗っているだけで目的地へ連れて行ってくれるんです。


こうやって、いろいろな”あたりまえ”を追求していくと、
わたしたちのこの世界って、豊かすぎませんか?


人間関係も、好きな人、嫌いな人がいるから、
自分がどう立ち振る舞ったらいいかを教えてくれるんだと思うし、
過度な上下関係も、こうなったら相手がイヤな気持ちになる、ということを教えてくれているのかもしれません。


わたしたちは、他人がいないと生きていけないんです。


何が言いたいかというと、人を批判、非難、ジャッジメントするのは、すごく贅沢なことなのではないかと思ったんです。


瞬間的にイラッとすることはあるかもしれないけど、
突発的にそのイライラをぶつけるのではなくて、ちょっと一旦引いてみて、落ち着いてから行動したらいいのではないかと思うんです。
(少し経って落ち着くと特にイライラをぶつけようとは思わなくなるのではないかと思います、大半の場合は・・・)


今日も前置きが長くなってしまいました。
今日は、人間関係について。


しかも、「愛」について、です。
(「ほんとうの愛」とか語っちゃいます♡)


「ほんとうの愛」「無条件の愛」はなかなか理解できるものではありませんね。


そもそも、頭で理解することではないような気がするから。


愛は永遠・・・なんて信じられないでしょ。


でも、そんな「愛」もあるみたいです。


時々無料で公開しています。
今回も無料記事です。


前回の記事はこちら↓
(前回の記事は有料記事です)


✧˙⁎⋆今回、本文の中で引用しているご著書はこちらになります。
エックハルト・トール著「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」



✼••┈┈┈┈••✼


1.「ほんとうの愛」は永遠


「ほんとうの愛」はわたしたちに痛みを与えたりしません。
愛が痛みを与えるはずがありません。
ほんとうの愛は、突然憎しみに姿を変えたりしません。
ほんとうの喜びも苦しみに変わったりしないのです。

エックハルト・トール著「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」より


けっして移り変わることのない、「ほんとうの自分」という本質。


「ほんとうの愛」は、いつまでも永遠。


相手の「ほんとうの自分」さんを発見できた人は、
相手への気持ちがどんな態度であろうと変わりません。


もうその人のことを嫌いにはなれない。


相手の「ほんとうの自分」は、
自分の「ほんとうの自分」と同じだからです。


実際に遠くにいて会えなくても、会えない関係性であっても、
けっして、”孤独”と感じることはない。


この感覚は、自分自身が「ほんとうの自分」とつながっている時に感じられる感覚。


思考に翻弄されているときは、
自分と相手は完全に分離しているため、
人間的に寂しいと感じるし、自分と相手は違うんだ、という考え方をしてしまいます。


自分の内面が調和されていないと、相手との関係になんらかの亀裂が入る。


初めはうまくいっているように思えても、だんだんと亀裂が入りそれが深くなっていく。


それは、自分の中で調和していない部分を浮き彫りにしてくれているということ。


出会う人の数だけ、自分というエッセンスが存在している。


相手に見えるものは、自分にも存在する。


運命の人と信じてその人と結ばれたい・・・と願っていても、
自分の内面で調和していないと、その人とは幸せになれないし、
真の「愛」を育むこともできない。


どんな関係性であろうとも、
まずは、自分と「ほんとうの自分」の関係性を大切にすること。


「ほんとうの愛」とは、自分と「ほんとうの自分」との関係性が
「ほんとうの愛」で満たされている時にのみ、体感できる感覚。


自己否定や罪悪感、無価値感、虚無感など、
自分の内面でいろいろな葛藤がある状態では、
「ほんとうの愛」を育むことはできない。


それを、相手にぶつけてしまうから。


もちろん、LOVEの”愛”でなくても、
家族との愛、友人との愛、仕事関係での愛、などすべて。


✧˙⁎⋆振り返りnote
「ワンネス」って言葉、怪しいって感じる?
いいかえると「すべてはひとつ」ディズニーの世界でいえば「It's A Small World」ですね。(ディズニーのは眼に見える人種という意味が大きいような気がする)
英語でいうと、「Everything is one」。
頭ではなかなかねー、理解がむずかしいんです。


✧˙⁎⋆ご参考までにこちらもよろしければ・・・
(こちらも有料マガジン『”繊細さん”という豊かさを活かす!!』におさめているnoteになります。前半部分はみなさまにお読みいただけます)
とーっても深い、と感じている、「ほんとうの愛」。
魂でつながっているとされている(概念的にね)関係性でさえ、ピンと来ても思うようにいかない・・・なんて感じてしまうもの。
前半部分は「ユング」の理論をもとにわたしなりの考えを書いています。


2.意識的に生きること。思考や感情を観察する人になる。


「苦しみは欲望や執着を持つから生まれるのである。
苦しみから解放されるには、欲望や執着を断つことである」

ブッダの言葉


仏教的には、これが「苦しみ」の根源といわれています。


欲望とは、「大いなる存在とひとつになる喜び」の代用品として、外側に満足感を求めることから始まります。


この次元にとどまっている限り、「自由になりたい」「さとりをひらきたい」という思いも欲望の一種なんです。


ただひたすらに「いま、この瞬間」という時を生きるのです。
「思考を観察する人」になってください。
「目覚めた人」になってください。
「目覚めた人になること」。
実はこれが「ブッダ」という言葉の意味なんです。

エックハルト・トール著「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」より


思考を「ほんとうの自分」だと思い込んでいる状態は、”無意識に生きること”だとこの本には書かれています。


では、反対の”意識的に生きる”とは、どういうことか。


それは、思考や感情を観察する人になる、ということ。


ちょっと広い視点でみる、ということが、
”意識的に生きる”ということ。


意識の図(One Heart作)


前回のnoteにも出てきた図になります。(有料部分でね)


小さい丸(5%の人間意識)の中の意識で生きるのが、”無意識に生きる”。


大きな丸の中の意識で生きるのが、”意識的に生きる”。


小さい丸の中は、経験と記憶の部分。
(わたしが知っていること)
いわゆる、「過去」の部分です。


この「過去」の経験や記憶、その時に感じた感情が
潜在意識の引き出しにしまわれていきます。


そして、その引き出しから時々引っ張り出してくる思考と、
それにともない湧いてくる感情(過去に感じたものと同じ感情)が
「痛み」ということになる。


要するに、「痛み」を自分でつくっているということ。


自分でつくったのなら、自分で変えることもできる。


とすると、エゴは「じゃ、さとりたい」となるわけです。


✼••┈┈┈┈••✼


エゴが「さとりたい」と思っているのは、
「さとり」がゴール、という設定をしている状態。


「さとり」にはゴールはない。


さとったら、幸せになれる、とエゴは思っているから。


コインの裏表と同じで、この世界は二極性の世界。


わたしたちが人間である限り、人間意識とさとりの状態を行ったり来たりします。


ずーーっと、さとった状態にはなれない。
どっちの体験も必要。


行ったり来たりしても大丈夫。
そうなることこそ、この世界を生きている醍醐味を味わえるんです。
(この世界を”ゲーム”的な感覚ととらえてみました)


たぶん、わたしたちはそれを体験しにこの世界に来ているのだと思う。


「エゴ」には、ポジティブとネガティブなものがある。


これも、この世界ならでは。


どちらの「エゴ」も「ほんとうの自分」とつながるための、
人間にとって大切なもの。


ネガティブなエゴが出てくるからこそ、自分の願いは何かを教えてくれる。


しかもそれは、「ほんとうの自分」につながる喜びを体験したい、というきっかけにすぎない。


根本は、「ほんとうの自分」につながること。


そして、その実践を経て自分自身が幸せ、平和を感じられたら、
周りの人も同じ感覚を味わえる。


そんな世界も体験してみたい・・・と、今世生まれてきたんだと思う。


ポジティブ感情やネガティブ感情に好き嫌いと判断しないで、
「人間なんだから、しかたないよね」ぐらいに軽い気持ちで自分の感情と向き合う。


「イライラしてもいいじゃん」
「嫉妬しても大丈夫」


わいてきた感情に対して、
「こんなこと思っちゃダメだ」と自分にダメ出しをしないで、
「まぁいっか」と思えるようになったら、
人間、成長したと思えるのかもしれないね。


雲が流れるように、感情をさーっと流す。


車窓からの景色を見るように、思考をさーっと流す。


こうやってさーっと流していくと、いつのまにか感情や思考は消えていきます。


また、しばらくするとやってくるけどね。
(また流す、ということを繰り返すだけ)


頭の中でするトレーニングです。


やっていくうちに、だんだんと自然にできるようになってくる。


思考や感情に執着しなくなるんです。
(別の言い方をすると思考や感情に縛られなくなる、っていうことかな)


今日はここまでです。


今日も”愛”あふれる一日をお過ごしくださいませ。

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