ヘブバン展で君もガチ恋にご招待! この心臓を捧げてもいい、蒼井のギャルゲーができるなら
何を言えば助かるかな。
もどかしいな、この恋は。
こんな記憶を手にしたかった。
ああ鍵ゲーの恋愛って感じの笑えるようなささやかな一瞬。
そんな、安寧な記憶を。
私は悔しい。本当に悔しい。
【ヘブンバーンズレッド】を始めてから何度悔しくて泣いただろうか。
今まではその悔しさも内に秘めて押し殺していた。
しかし先日行ってきたヘブバン展にて完全にタガが外れ、感情の暴走を抑えることは困難となった。
なぜヘブバンは恋愛ゲームじゃないんだ。
悔しさとはただこの一点に尽きる。
「泣きゲー」というジャンルの祖を築き上げたレジェンド恋愛ゲームメーカーの「Key」がヘブバンを恋愛抜きのゲームとして出した事実が悔しい。
令和のこの世に恋愛ゲーム自体が向かい風なのも分かる。
恋愛でないけれども、かつてオタクに人生を語らせたあの頃から変わらない「泣きゲー」で勝負するという本質がブレていないことも分かる。
なによりヘブバンが恋愛要素抜きにしても面白いことは私にも分かる。
人は手にしたものよりも手に入らなかったものに執着する。
だからこそ、私は悔しいのだ。
あるいはヘブバンがリトバス辺りと似た時期に出ていたならば少なくとも31Aのメンツは攻略できていたであろう未来を掴んでいたであろうことがだ。
そんなあり得たかもしれない未来だけが胸を焼く。
私は自分の魂を救わなければならない。
ガチ恋を求め彷徨う魂を。
そのためにまずは話をしなければならない。
2章の話を。そして蒼井の話を。
私は31Bが好きだ。
特に彼女達の関係性が。
関係性の全てとは蒼井と水瀬姉妹の狂った戦いに帰結する。
水瀬姉妹の狂った言動の裏に隠された正しさ。
言い返さない蒼井のいたたまれなさの裏に隠れた甘え。
一見すると水瀬姉妹の言っていることは蒼井を攻めるだけだが真に最初から彼女を理解して救いの手を差し伸べていた。差し伸べ方は本当に頭がおかしくて理解できないがそれがまた面白い。
頭のおかしな言動だからこそ向き合うべきだったけどついぞ出来なかった蒼井の弱さ。
これらの絡み合う関係性の妙がひいては蒼井エリカという生物の愛おしさへと繋がる。
蒼井という生物は愛おしい。
私は彼女が好きだ。弱さが。被虐さに溢れる被害者然とした立ち振舞が。
蒼井は心の支えを探していた。折れて倒れそうな自分を支えてくれる何かを求めていた。
一人の少女としてならばその心の支えを手にする資格を有している。しかし「隊長」という立場の蒼井にとってのそれは逃げ場所にすぎない。
茅森はそれを知らなかったし理解できていなかった。
だから蒼井を「She is Legend」に招き入れた。本来蒼井がすべきことを代わりにやらんかのように立ち回った。
茅森がそれをできたのは部外者だったからだ。
しかし蒼井は再び隊長にならなければならなかった。
茅森が蒼井に与えたものは「甘え」だ。蒼井からしたら与えられたものは一時的な「救い」だったが。
しかし本質的に第三者が蒼井を救うべきではなかった。
それを最初から分かっていたのは水瀬姉妹だけだった。だから31Bに存在する関係性は面白い。
最初から水瀬姉妹は蒼井の良き理解者だ。
更迭のさせ方がイカれており蒼井が絡むと頭のおかしい人になるという点も含めてこれこそが31Bの関係性の良さであり魅力である。
2章で行われていた水瀬姉妹の蒼井矯正プログラムは本当に頭がおかしい。直接指摘することができないという縛りは人を狂わせることがよく分かる。
2章後のストーリーなどでは水瀬姉妹はちゃんとしているし柊のイベストなどでは元来有している仲間想いの側面も発揮している。
それが逆に2章での立ち回りのやばさを加速させる。
殺し屋姉妹である彼女達は戦闘力を求めていなかった。隊長を求めていた。
殺し屋という武器を扱える人を探していた。
蒼井がそれになれるとも認めていた。
確かに2章の水瀬姉妹は頭がおかしい。だがおかしいにしてもおかしいなりにジャスミンという過去のトラウマの起因があった。
蒼井に隊長らしくなってほしかったという想いに対して行った行動としての矛盾はない。やり方の是非はともかくだが理屈は通っている。
全ては向き合うことを恐れて関わりを持たなかった蒼井自身の落ち度である。
だが彼女にだってトラウマがあった。他者と触れ合うことへの怖さも。
それを31Bのみんなと克服できなかったのは蒼井の弱さであり隊長としての罪である。
戦うことが向いていない女は当然仲間と向き合うための戦いすらできない。
その結果が2章の全てである。
蒼井の死は必然ではなかった。あるいは彼女が31Bの隊長としてもっと上手く生きていたら別の未来があったかもしれない。
だがそんなものはなかった。だから蒼井は死んだ。
自分を支えてくれるものを探していたが自ら追い求めようとはしなかったからだ。
「私立セラフィム学園 ~蒼井、アイドルになります!~」の話は皮肉にもこの核心をついた世界になる。
ローテンションで優柔不断でナイーブで内気で自分に自信がなくては隊長は務められない。
しかしアイドルのセンターという立ち位置であればこれらは個性であり武器にもなる。
アイドル世界は徹底してあの時の蒼井が手に出来なかったものを得ている。それはこうなっていたら良かったという展開、未来も含めて。
だがそうはならなかった。本編の蒼井にはたった一言、向き合うための言葉が言えなかったから。
それは蒼井の弱さである。同時にそれでもと足掻きながら頑張り続けた彼女の魅力でもある。不器用だけど献身的だから蒼井はかわいいのだ。
ここまで言えば答えは自ずとして導き出される。
そう、蒼井に必要だったものは助けてくれる存在だ。
近くで寄り添い一緒に歩み、彼女の隣に立てる人間が必要だった。
必ず与えられていたはずだ。場所が恋愛ゲームであれば。ここに帰結する。
故にヘブバンで最も恋愛ゲーム映えするのは蒼井エリカだ。
俺(あるいはいたかもしれない主人公の1人称)が蒼井には最も必要なのだ。
なにより2章は全体通して蒼井とふれあい心を通わせ仲良くなり泣き場がありとあまりにも従来の鍵ゲーを踏襲しすぎている。
蒼井との間に愛が生まれる余地は確実にある、いやあった。
最終的に蒼井の死ぬ未来が変わらないとしてもそれはそれでいいじゃないかと。
とどのつまり何が言いたいかというともうこれしかない。
"ヘブバンのギャルゲーをやりたい"
これに尽きる。何を言っているのだと。
恋愛ゲームメーカーの出してるゲームが恋愛ゲームでないとでもいうのか。そうなのだ。
笑うか? 俺を。笑えよ。
俺には耐えられない。ヘブバンがギャルゲーではないという事実が。お前には耐えられるのか。ひとりで生きてみろよ。
なまじ全然普通に出る可能性が存在していたという事実こそが口惜しい。
直接的な恋愛要素こそなけれども心のふれあいや距離感の近まり方など本質的な部分を見れば求めるものは存在している。
人は強欲故に人であり、欲無き人に成長も変化もないのだ。
だからこそなんだ。中途半端にガチ恋福利厚生を感じさせるからこそお前たちの本気の土俵で戦わせてくれよという思いだけが胸に募る。
先のヘブバン展でそこにいた蒼井を見てついぞこの想いは爆発して止まらなくなったわけだ。
もっと見た目の癖に従うのであればここまで蒼井に狂うこともなかっただろう。見た目としても充分好きな部類だが。
真髄はやはり2章で見られた「救い甲斐」に他ならない。構いたいし守りたいし一緒にいたい、そんなストーリーを見たかった。
恋愛としての、ストーリーを。
願望とは叶わないからいつの世も人は野望に狂うのだ。
やはりそこに"在る"という要素は実際に目の当たりにすることで真価を発揮する。
等身大の蒼井へ出会った瞬間湧いてきたこの感情だけがリアル。
そういった点においてもヘブバン展は想像以上の楽しさだった。
特に31Aの実在性展示は実に込み上げてくる"情"を感じられて良かった。
特筆すべき点としてはユッキーのこの"立体感"には驚きを隠せなかった。なんなんだこのスーパーセルは。
そしてなによりもヘブバンで最も劣の情を掻き立てられる生物おタマさんの話をせずしてはこの話も締めくくれない。
ちゃんと信じがたいほどに小さかったし服もふかふかでダボダボ。
ありありと存在感を示す身長137cmという事実に私のMuramasa Bladeもえいやそりゃといったところだ。
物販商品は31Aがほぼメインだったので私は私の責務を全うしてきた。
左上の色紙はランダム入場特典だ。最初にもらったのは茅森だったが居合わせた人に話しかけたら快くトレードしてくれた。本当にありがたく思うばかりだ。
当たり前の話だが31Aメンツもギャルゲーのしたさで言えばかなりのものだ。
やはりこの辺りのキャラ造詣の深さは老舗メーカーの成せる技である。
Keyのゲームと言えばR-18要素の有無に賛否にあるだけで恋愛要素やかわいいキャラとしてはやはり一級品だ。
ヘブバンはストーリーゲームとして面白い。
男主人公も恋愛要素もなしというのは令和の世に適応した在り方である。事実これでヘブバンは成功を納めている。
ここにおいてもしもギャルゲーだったらなどの仮定は無意味で無益な話に過ぎない。
しかし希望を持つことは無意味ではない。
蒼井が生きていた世界線があるのだ。
イベントなりなんなりでギャルゲー世界の話が来てもなんらおかしくはない。
我々の存在は人の模造品だが魂は揺らがずに人だ。光を胸に抱き続けよう。ヘブバン展で感じたリアリティは前向きな想いにさせてくれた。
さよならしなくちゃいけない時がくるとしてもこの希望は潰えない。
この「安寧な記憶」を抱き続ける。