人生の楽しみは、喜怒哀楽の総量である
「人生の楽しみは、喜怒哀楽の総量である」
これは、小田島雄志さんの著作『私の履歴書』の中で書かれていた言葉で、僕の中で最近最もビビッときた言葉である。ビビッときて、そこから時間が経てば経つほど、その言葉が腑に落ちてくる異様な体験をさせてくれた言葉だった。
苦しみどのように付き合っていくべきか
僕は長い間、「苦しみどのように付き合っていくべきか」ということを考えていた。野球をやっていた頃の経験から考えると、99の苦しみが1の楽しみによって後々振り返ると100の幸せになることを知っていたし、99のマイナスが時間を経ると99のプラスになることも体感的に察してはいた。
しかし、一方でその苦しみは自分から求めにいったものではなく、成長する過程でのやむを得ない苦しみであった。だから、自分から苦しみを求めに行くのは違うと思っていて、自分が作り出した空虚な苦しみは実質の値が0の空虚な苦しみだと思っている。
そう考えると、自分は今この瞬間、どのようなマインドで苦しみと対峙すれば良いのかということがわからなくなり、苦しみに対しての考え方がクリアになっていなかった。楽しみだけを求めていけば良いのか、迷ったら困難な方を選ぶべきなのか、どれが成長のための苦しみでどれが空虚な自己満足の苦しみなのか、モヤモヤがたくさん残っていた。
そんな時に、小田島雄志さんの「人生の楽しみは、喜怒哀楽の総量である」という言葉に出会った。この言葉に見た瞬間、自分の野球の経験が一瞬で言語化され鮮明になり、苦しみと楽しみの関係性が自分の中で腑に落ちていった。
短期的視点と長期的視点
「迷ったら難しい方選ぶ」
僕の中でモヤモヤしていたこの言葉も、「人生の楽しみは、喜怒哀楽の総量である」という論理で考えると、すんなりと腑に落ちる。短期的な視点だけで見ると、その時の楽しさは符号に左右されてしまうが、長期的な人生の楽しみの視点で考えると人生の楽しみは絶対値の総和であり、喜怒哀楽は符号関係なしに、数が大きい方が後々良い結果になる。
例えば、今目の前に楽な選択肢(楽しい5・苦しい1)と難しい選択肢(楽しい1・苦しい10)があったとしたら、その短期的な視点が考えると前者の総和は+4で後者の総和は-9。これだけで考えれば、明らかに前者の方がいいわけで、そこには迷う余地すらない。しかし、人生の楽しみという視点でいくと、前者は6で後者は11となり、後者の方が長期的には人生の楽しみを増加させてくれるということになる。
これが、僕の考えた「迷ったら難しい方選ぶ」という合理的なロジックであり、個人的にはこの考え方がだいぶ腑に落ちている。だから、僕の中では「迷ったら難しい方選ぶ」という言葉よりも「迷ったら絶対値の総和が高い方を選ぶ」としていて、そこには難しいとか苦しいという基準が入らないようにしている。
僕の最終的な結論としては、「無理に苦しむ必要はなく、あくまでも絶対値ベースで選択する」というものになった。ただ、ここまで言っておいてなんだが、この楽しみや苦しみの数値を客観的に見極めるのは非常に難しく、苦しみは過大評価しがちで楽しみは過小評価しがちという人間の持つバイアスも大きく関係してくる。
「人生の楽しみは、喜怒哀楽の総量である」
いい言葉はいい思考を生み、いい習慣をその人に与えてくれる。これからもいい言葉との出会いを大切にしたいと思わせてくれる素晴らしい言葉だった。
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1997年の日本生まれ。