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If you want something, you will get nothing.

僕は昔から狙っていた通りに物事を動かすのが好きだった。自分の意図していた通りに相手が動いてくれたり、自分の思惑通りに事が進むととてつもない快感を感じる。

故に、小さい頃から『ぷよぷよ』と『いただきストリート』というゲームが好きで、溜めて溜めて大量のコンボを作ったり、止まった人が破産するくらい自分の土地にお金をつぎ込んだり、自分の思惑通りにことが進む快感を幼い頃から求めていたように感じる。

ただ、最近になって「狙っていた通りに物事を動かす」のはおこがましいことなのかなーということを思うようになってきた。世の中は自分が考えられる範疇の中だけで動くものではなく、自分の思惑通りに動いていると感じているのであればそれは視野が狭くなっているだけという風に感じるようになった。

ただただ待つ

拡散力を得たいからTwitterやるとか、ファンが欲しいからShowroomやるとか、その行動自体はすごくいいことだとは思うのだが、正直どこか違和感を感じてしまう自分がいる。拡散力もなければ、ファンもいない自分が言うのもなんだが、自分の計算によって拡散力を得ることができたり、ファンを増やせると思っていること自体違うのかなと最近思うようになった。

「では、どうしたら拡散力やファンを得られるのか」と聞かれれば、今の僕なら「ただただ待つ」と答えると思う。もう一言付け加えられるのであれば、「拡散力やファンを得たいと言う気持ちを捨てて、ただただ待つ」と答えると思う。

最近は、禅の本や東洋的な思想に関する本をよく読んでいるせいか、どんどん考え方が尖っていき、今では全ての物事は「ご縁」で動いていると考えるようにまでなった。

全ての帰結はご縁によって導かれ、そこに人間の力が介入することはない。人間にできることは自分のやるべきことをやり、ただただ待つ(人事を尽くして天命を待つ)ことだけだと考えるようになった。

何かを求めるのであればその欲望を捨てる

確かに、辺りを見渡してみると、自分の計算によって物事を動かし、結果を出してきた人の話を聞くことがある。しかし、僕の少ない経験則から考えると、物事を100%考え尽くし、それ通りにいったとは考えにくい。ある程度の当たりをつけて、当たったところや外したところもありながら、最終的に自分の欲していた結果を手にするというのが現実であると思う。

それに、僕は人の話を聞いても、ほとんどの場合において、その人の文脈を知らないので、結果を出した過程だけを見てもその行動の本質を知ることができない。僕が想像もし得ない裏側があるであろうし、僕が見ているのは氷山の一角のうちでも僕から見える一側面だけでしかないのだと思う。

そう考えると、100%狙って何かをするというのは最初からできるわけもなく、その行動自体が大変おこがましいように感じてしまう。「たかだか人間ごときが」という諦めがあるからこそ、私たちには待つことしかできないように感じてしまう。

自分の言葉でロジカルに説明することはまだできないのだが、「何かを求めるのであればその欲望を捨てる」というのが何かを得るための一番の近道であるというのが自分の中では腑に落ちている。逆説的ではあるが、なぜかそれが正しいと感じてしまう。

ここら辺に関しては、まだ自分の中で言語化できていないので、人に話せるくらい自分の中でまとまりがついたら記事として投稿しようと思う。

If you want something, you will get nothing. If you want nothing, you will get anything.

ロジックでは説明できないのだが、これが正しいと直感的に感じている。諦めるとか、捨てるとかがすごく大事なような気がしているが、それが全然言語できなくてもどかしい今日この頃であった。

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My Memo
1997年の日本生まれ。