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「ただ生きる」という感覚を大切にただ生きる。

ただ生きる。
ただ生きていく。
死ぬまで生きていく。
死ねないから生きていく。
どうせだから生きてみる。
せっかくだから生きてみる。

何も求めなくていい。
何かになろうとしてみてもいいし、何にもなれない自分を責めなくてもいい。
何になろうとも、最後は骨になる。
何かになれなくても、最後は骨になれる。

生きてしまっているから、死ぬまで生きてしまえばいい。
楽しいこともほんのたまにある。
笑える瞬間も100回に1回くらいはある。
だから生きていい。
それだけで生きるに値する。

他人と比べてしんどい時は、人はやがて死ぬことを思い出す。
仏壇の上に飾ってあるばぁちゃんの遺影とか、近所の火葬場に表示されている見知らぬ誰かの名前とか。そんなものを見て、人はやがて死ねる、人生はやがて終わりを迎えてくれるという事実を思い出す。

極論を言えば、どうだっていい。
今抱えてる悩みも、過去の後悔も、未来の不安も。別にどうだっていいもの。一通り通過して人生は終わりを迎える。ゴールへと向かうマス目を、一歩一歩ただ前に進んでいるだけ。

人生に意味なんてあるのかと暗く塞ぎ込んでしまう時は、人生に意味なんてねぇよと開き直って、だったら死ぬまで楽しんでやろうと、そう思ってみる。
後ろ向きを極めてみると、案外そっちが前側だったりして、前向きに自然となれていたりする。

うまく生きれない自分を責めなくていい。
うまく生きても、うまく生きれなくても。結局はうまく死ねるから。その打率は10割だから。安心していい。

いつか終わる。
今はまるで、夢の中をただ生きているようなもの。それがどんな悪夢だろうと、やがて夢は覚めて解放される。終わりの瞬間は必ずやってきてくれる。

今日は辛かった。今日も辛かった。
今までが辛かったから、明日もその先も、ずっと辛いのだろう。
辛いことを喜べばいい。いつか死んで、この辛さから解放された瞬間、私は誰よりも多くの喜びを感じることができる。人生が順風満帆で、全てが満ち足りてて、結婚して子供もいて社会から認められて周りが笑顔で溢れかえっていて、そんな人たちには決して味わえない消滅の喜び。人生が終わってしまうことを悲しむのだろう。私は違う。最後の瞬間、この世界からの解放が私を何より高揚させる。終わり良ければ全てよしで、この人生は最高だったなと思いながらこの世界からサヨナラできる。

だから生きる。
まだ死ねない。まだ死んでやらない。
サウナとかも同じだよな。
極限まで苦しんだ方が、その後の解放感が格別だ。
高ければ高い壁の方が、登った時気持ちいいとミスチルも言っている。

だから生きましょう。私は生きます。
ただ生きましょう。
ただ生きていいのです。

意味なんてねぇこのクソみたいな世界で生きるクソみたいな人生。
終わりの瞬間に、あぁやっぱりクソだったわ!せいせいするわ!と言いながら、笑顔で死んでいけるように。
私はもう少し生きてみます。
みんなも生きてくれたら嬉しいです。共に人生に毒づく仲間がいることが、このクソみたいな人生で唯一輝く宝物なのです。

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