仕事はしんどいけど無職もしんどい。総じて、人生はしんどい。 〜「プラナリア」を読みました〜
山本文緒さんの「プラナリア」を読んだ。
本書の短編に共通するテーマは、「無職」の人間だ。
仕事というものを通し、それぞれが人間としてもがく姿をリアルに描いてくれている。
なぜ、仕事をしなくてはならないのだろうかと考える。
十分なお金があって生活を営めるのなら、別に無職であることは悪ではないのだろう。
要は、「自分が納得できるか」の一点にかかっている気がする。
胸を張り、誇りを持って無職をまっとうできるのならば、その無職に誰も口を挟むことなどできない。
自分の場合どうだろう。
きっと無職のしんどさは、今抱える仕事のストレスを遥かに越えてしまうだろうと、容易に想像がつく。
きっと無職の自分を誇れないし、ご飯の味もしなくなる。
仕事は辛い。しんどい。宝くじが当たったら辞めてやるんだ。
そう愚痴りながら生きているけど、いざこうしてリアルに無職な自分をイメージしてみると、普通にストレス抱えながら普通に仕事をしてるって、結構幸せなことかもしれないと思えてくる。
無職は無色だ。
そこに何でも描いていけるけど、描かなければその空白は焦燥感を生み、私たちの心を削る。
自由に描けるはずなのに、描かなければという義務感や苦しみが私たちをそっと蝕む。
仕事はしんどい。
無職はしんどい。
人間は総じてしんどい。
しんどい世界で、しんどい思いをしながら生きている登場人物たちの姿に何度勇気づけられてきただろう。
きっと小説の効能は、苦しみの共有だ。
自分だけじゃないと信じられたとき、私たちは苦しみから少しだけ解放され、自由になれる。
仕事をしていようと、無職であろうと、その自分に胸を張って生きていけたらいい。
そんな自分を大好きだと言いながら、生きていけたらいい。
きっとしばらくは、無職じゃない自分で生きていくのだろう。
けどやがて老いはやってきて、私は無職になるのだろう。
無職もそうだし、結局人生は「無」にかえって終わっていく。
手にしているものを例外なく手放して、私たちは旅立っていく。
無職な自分も誇れるような生き方ができたらいい。
ありのままの自分を愛せたならきっと素敵だ。
仕事をすること。無職でいること。
私たちは「選んで」現在の場所に立っている。
そのことを忘れずにいたい。
仕事がしんどい人は無職にだってなれる。
無職がしんどい人はいつだって仕事を始められる。
その先にも苦しみは確かに存在するのだろうけど、今抱える苦しみを永遠に抱えていくことは決してない。
まとまらないけど、とりあえず好きに生きてみよう。やりたいことを、やりたいようにやってみよう。
仕事したけりゃすればいいし、無職したけりゃすればいい。
大丈夫。みんな苦しい。
その苦しみの中に、一筋の光を見つけながら、この人生を楽しんでいけたらいいなと思う。
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