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死を最大の喜びと定義すれば、今日という日に意味が添えられる。

死にたい。
この世界から解放されたい。

死ねなかった。
今日という日は何も意味がなかった。
明日も意味のない1日が訪れる。
死にたい。終わらせたい。

ちょっと待て。
死は喜びだ。
この苦しみから解放されるなんて、この上ない至福の瞬間じゃないか。

ならもったいない。
まだ死ねない。
死にたいけど、死なない。
死にたいからこそ、まだ死なない。
死んでなるものか。

今日という日は一見意味のない空っぽの1日だ。
だが、確かに死へと向かって一歩を踏み締めた、そんな1日でもある。

死は最大の喜び。
その瞬間に向かって、今日を必死に生き抜くことで、苦しみながらやり過ごしたことで、確実に近づけた。

明日なんて来なくていい。
いやいや、早く明日よ来い。
明日が来れば、また私は一歩死へと近づく存在になれる。

ゴールがいつかはわからない。
まだもっと先かも。
心が折れそうにもなるが、苦しみを積み重ねた上での人生からの解放は、この上ない幸せなのだろう。

そんな瞬間を夢見て、今日も生きる。
終わらせることもできるけど、あえてまだ生きていく。

死の瞬間を夢見て。
死を確かに意識することで、私の今に意味が添えられた。

辛いよね。苦しいよね。
一刻も早く終わらせたいよね。

でも、まだ生きてやろう。
命が尊いからなどと、綺麗事を言うつもりはない。

このクソみたいな世界から笑顔で消え去っていく瞬間をイメージしながら。
あーあ!やっと終わった!
生きてみたけど、やっぱクソだったわ!

そんな風に、この人生を罵倒しながら、死ねるその時まで。

私はまだ生きてみる。
人生に期待とかじゃない。
死の喜びを、最大にしてやろうという薄汚い野望を胸に。

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