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所詮「腰掛けの人生」だと思えば、生きることが楽になる。
「腰掛け」
本来の希望を達するまでの間、一時ある職や地位に身を置くこと。
「どうせすぐに異動するから、今の仕事なんてどうだっていいんだ」と言う、同僚がいる。
心底羨ましいなと思う。
無責任に生きられたらいい。
どうでもいいと思って生きられたらいい。
「将来はお嫁さんになるから、仕事なんてずっと続けるつもりはないんだ」という、女性もいる。
いつか辞められる。
それは地獄みたいな職場では心強い免罪符になり得る。
僕はどうだろう。
逃げ場がない。あとがない。
次の仕事のあても、誰かのお嫁さんになる予定だってもちろんない。
誰か僕に免罪符を与えてくれないか。
どうせいつか辞めるから。どうだっていい。
そう思える、何か逃げ道になってくれるような存在を。
きっと僕が羨ましいと思っている人々は、皆「腰掛け」の気持ちで仕事に取り組んでいる。
所詮、本当に望む場所へ辿り着くまでの時間潰し。
結果なんてどうだっていいし、誰にどう思われようと関係ない。
腰掛け、いいな。
僕も腰掛けたい。
でも、腰をあげて向かうべき道なんて全く持ち合わせていない。
視野を広げる。
人生を、遥か上空から俯瞰して、時空を越えてみる。
人生なんて、所詮腰掛けなんじゃないだろうか?
いつか死ぬ。天国へ行く。
そのことを悲観するのではなく、むしろ「本来の希望」であり「未来の楽しみ」だと設定してしまえば、今の苦しみはだいぶ和らぐ。
いつか死ぬ。
今はそれまでの暇を潰しているだけ。
そう、まさに「腰掛け」だ。
仕事なんてもちろん腰掛けだ。
なぜなら、人生自体が壮大な腰掛けなのだから。
仕事なんて人生のほんのほんの一部で、真面目に向き合う必要なんてないくらい、腰掛け中の腰掛けなのだ。
腰掛けだと思えたなら、あとは気楽なものだ。
嫌な仕事は断ればいいし、他人の評価を気にして愛想笑いを振りまく必要もない。
だって死ぬから。そして今は腰掛けだから。
腰掛けだからこそ、気楽に楽しめる。
別にどうだっていいやと執着を手放した先に、豊かな人生は待ち受けてくれている。
辛いよね。苦しいよね。
今のしんどさが永遠に続くように感じてしまって、生きることを放棄したくもなるよね。
大丈夫。
僕らは腰掛けているだけだから。
そのことを忘れずに生きていこう。
所詮人生。所詮腰掛け。
どれほどの悲劇が押しかけようとも、もう僕を圧倒することはできない。
なぜなら、どうだっていいのだから。
腰掛けている僕に、恐れるものなんてもう何一つないんだ。