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生きるのが楽になる。エッセンシャル思考と筋トレの素敵な相関性。

数年前に「エッセンシャル思考」という本を読んだ。

余計なことに手を出すのをやめて、本当に自分が大切にすることだけに力を注ごう!
そうすれば人生は豊かになるよ!

確かこんな内容だった気がする。

なるほど。と、確かに感じた。
だが同時に、

それができてりゃ苦労しねぇわ!

と、何だか無力感に襲われた記憶がある。

やりたいことをやる。
やりたくないことは断り、自らのエネルギーを全て有意義なことに注ぎ込む。
なんて理想的な生き方なのだろう。
そして、なんと理想止まりの現実離れした思考なのだろうと、当時は感じていた。

あの頃の私は繊細だった。
人の目が気になり、常に誰かの評価を気にして、怯えて、不安がいつも隣にあって、控えめにいって生きづらい人生であった。
そんなこともあり、このエッセンシャル思考をはじめとした自己啓発本を読み漁って、どうにか人生を楽に乗り越えようと足掻いていた。
(足掻いただけで、あまり大した効果は得られなかった。生きづらさとの付き合いは残念ながら長いものとなった。)

ふと、エッセンシャル思考を思い出した。
あれ?できてる。
完璧とは言えないけど、あの頃に比べたら格段にエッセンシャルに生きられている。

何が変わったかは自分が一番理解していて、一言で表せば「筋トレの有無」だと思う。
もっと正確に言えば、筋トレを習慣化することで、テストステロン値が向上し、自然とエッセンシャルに生きられるようになったのだ。

やりたいことをやる。
このシンプルな理想を実現するために大切なのは、図太さであり鈍感さなのだと思う。
(当時の自分は全くと言ってよいほど持ち合わせてなかった)

筋トレを始めたことで感じている変化は、良くも悪くも「気にならないマインド」を身につけられた点にある。
ミスをしようと、どうでもいい誰かに何を言われようと、別に気にならない。どうだって構わない。
このどうでも良さを足場として、蓄えられたエネルギーを自分の人生を良くするために使えている自覚がある。

サイコパスという言葉があるが、今の自分は案外、そんな存在に近づいているのかもしれない。だけどそれを悪いことだとは思わない。
繊細に生きて苦しんで人生を楽しめないより、ある程度のサイコパスさを備えながら人生を謳歌した方が、断然お得なのではないだろうか?

ここで断言する。
繊細なあなたがエッセンシャル思考を実践しようとしても、到底無理な話だ。
何故なら、気にしてしまうから。
自分を優先してしまう自分に嫌気がさし、他人の目も気になり、そんな気にしてしまう自分が気になって、もう頭はぐちゃぐちゃになる。自分らしく生きようとするほど、生きづらさが積み重なっていく。

自分の人生を最優先に、やるべきことに誰の目も気にせず力を注ぐために、筋トレを習慣化することを提言したい。
筋トレをすることで、思考が変わる。もっと言えば、思考を生み出す脳という土壌が豊かになる。
マイナス思考に襲われる頻度は格段に減り、日々を楽観的に捉えられるようになる。

エッセンシャルに生きようとせずとも、自ずとエッセンシャル思考が実践できる。
エッセンシャル思考で生きようとするのではなく、能動的に行うべきは筋トレだ。

筋トレがあなたをエッセンシャル思考へと誘い、きっと人生を豊かにする。
私はそう、信じ切ってこの人生を楽しむ。

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