あなたの苦しみを言葉にしてごらん?それを見た誰かが救われるかもしれないよ。 〜「毒をもって僕らは」を読みました〜
冬野岬さんの「毒をもって僕らは」を読んだ。
本の帯に引き寄せられて本書を手に取った。
「この世界の、薄汚い、不幸せなことを私に教えてくれないか」
登場人物の女性は余命が僅かで、生きることに希望を見出せない。
主人公の少年に対して、あなたの苦しみを教えてくれと懇願する。
苦しみを言葉にすることは、辛い。
トラウマを掘り起こす作業なんて本当はしたくない。
記憶が流されてくれるのをただ息を潜めて待つ。流してくれないなら、さっさと墓場へ持っていきたい。
ただここで、苦しみを言葉にする勇気を少しだけ振り絞れたのなら、それは少なくとも「2人」の人間を救う。
まずはその言葉を向けられた「あなた」だ。
誰かの苦しみを聞くことで、「あぁ。私だけが苦しいのではないんだな」と少し安心できるかもしれない。
場合によっては「私はまだマシな方かもな」と、相対的に自分の人生がよく見えてくるかもしれない。
他人の不幸は蜜の味。
少し違うかもしれないけど、誰かのしんどさに触れることで、自分のしんどさが少しだけ溶解する瞬間は確かにある。
そして2人目。
苦しみを言葉にすることは、言葉にした「あなた自身」を救ってくれる。
「苦しみが成仏する」という言葉を使いたい。
私の苦しみをオープンに曝け出すことで、誰かの心が少しだけ軽くなる。
私の苦しみが報われた。意味があったと思えるだけで、私は救われる。
ラジオのエピソードトークに近い。
はたから見たらめちゃくちゃ可哀想な出来事でも、それを一つの「ネタ」にして誰かを笑顔にしたり苦しみから少しだけ自由にしてあげられたなら、それは素晴らしいことだ。
私自身の話をしたい。
Twitterやnoteをはじめたのも、何かしらの形で自分の苦しみが報われる可能性に賭けてみたかったからだ。
いいねを貰えた時、そのいいねは私の苦しみに向けられているのであり、苦しみを味わったその瞬間の自分が確かに報われた感覚になるのだ。
言葉にしよう。
きっと人を救うのは言葉でしかない。
心の中で想っているだけでは、それは外の人たちに伝わらない。
それじゃもったいないし、せっかくの苦しみが報われない。
あなたの苦しみを言葉にしてみてはどうだろうか。
どうせ避けられない苦しみだ。それを利用して、人生を豊かにしてやろうじゃないか。
私はこれからも苦しみを言葉にする。
その言葉が誰かを救うかもしれないし、何より自分自身の全てを肯定してくれる気がするから。
クソみたいな人生だけど、それをしっかりと「クソだ!」と言葉にすることで、「うんうん!そうだよね!クソだよね!」という共感が生まれ、輪が広がっていく。
みんな、言葉にして苦しみの輪を繋いでいこう。
不恰好かもしれない。でも、きっとそれでいいのだし、それがいいのだと言い聞かせて、強く生きていこう。
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