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虚構だらけの世界を想像力とともに歩みたい。〜「鈍色幻視行」を読みました〜

恩田陸さんの「鈍色幻視行」を読んだ。

とある小説を巡って関係者たちが謎を解き明かそうとするミステリー要素溢れる物語。
本作に登場する小説が実際の世界で書籍化されているのもすごく面白い。(未読なので絶対に読みます。)

本書が扱う大きなテーマは「虚構」、つまりはフィクションだ。
作られた一つの物語をきっかけに、大きくの人の人生が動かされ、交わっていく。

虚構に触れることで、多くの人生に触れることができるという表現があった。
なるほど。私が本を読む理由も、そこにあるのだと腑に落ちた気がした。

私の現実の人生を生きたとて、私が経験できる人生は私一人の分でしかない。
交わる人間の数を数えてみても、まぁそこまで多くはないだろう。(元来、人付き合いが得意でないことも多いに影響しているが)

一方で、私は現実の人生と並行して、虚構である小説を読むことを嗜んでいる。
物語を通じて多くの人の人生を追体験し、現実では交わることもなかったであろう様々なバックボーンや思想を持った人間たちと交流してきた。(もちろん、実際はしていないのだが)

で、それがどうしたと思う人もいるだろう。
確かに。本を読んだ人間が偉いわけじゃないと私も心得ている。
ただ、確かな手応えとして、本を読む前の自分と比べたら、格段に「想像力」は向上しているなと感じているのである。
そしてこの想像力が確かな礎となって、人生を豊かにしてくれているという感覚がある。

人の気持ちなどわからない。
自分の本心だって中々気づけないのだから尚更だ。
だけど、想像することはできる。
あの人は辛い思いをしているのではないか?
こんなことを求めているのではないか?
想像力の上に、豊かな人間関係もまた存在する。

想像力はライフハックにもなりうる。
例えば理不尽に上司に怒鳴られたとして、
「ああ、家で奥さんとうまくいかなかったのでしょうね。可哀想に。許してあげましょう。」てな感じで、想像がストレスを軽減してくれるシーンも往々にして現れる。

虚構という創造されたものと触れ合うことで、想像力が養われ、想像もできないくらい素晴らしい現実を創造していく。

虚構は決して現実から目を逸らすための手段じゃない。いや、時にはそんな使い方をしたっていいじゃないか。

虚構を愛している。
虚構が人生の背中を押してくれる。

虚構とともに、人生という現実を楽しめたらいいなと感じた、そんな素敵な一冊でした。

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