美しい泥。
誰かを自分よりちょっと下に見ることで、守れた気になるちゃちなプライドとか。
自分とは関係のない誰かが、自分とは関係ない誰かに謝罪している動画をついついチェックしてしまうこととか。
ここに居る必要性を突発的な事象に求めてみたり、何もしなかった今日について勝手に抱いた後ろめたさを、たまたま居合わせた誰かに許されたがったり。
そういうことを、人間はする。
弱くて、情けなくて、ずるい気持ちを、人間は持っている。
誰でもが、キレイじゃない。
いつもと空気の違う黒い夜に、人知れず落ちる思考の泥の底に、そっと触れる音があれば、いともたやすく惹かれてしまうだろう。
それが声でも、指先のぬくもりでも、ひとさじの砂糖であっても、人間は思うはずだ。
「自分を救ってくれるものが、まだこの世界には存在している」のだと。
そうやって、人間は勝手に何かに救われながら生きて、何かに魅入られながら生を終える。
何度も何度も、繰り返す。
あらゆる命が同じ星で。
自分の汚さをキレイな言葉や振る舞いで誤魔化しながら、それでもずっと自分の汚さと密かに戦いながら、生きていく。
挨拶がきちんと出来て笑顔をつくれるなら、とりあえず愛されることは出来るはずだけれど。
誰かを心から愛するためには、泣きながら自分の泥と向き合う必要がある。
そして遅かれ早かれ、気がつく。
かつて憧れたあの人も、ずいぶん羽振りが良さそうなあの人も、ちょっと下だと思っていたあの人も、みんなそれぞれ違った泥を持っているんだということに。
自分が見てきた泥だけで、他人の泥を知った気になるのは…あまりに浅はかだということに。
出来ることはひとつ。
自分の泥を陽の光で乾かすことだけ。
かぴかぴに割れた破片が、ぱらぱらと剥がれ落ちていく、どうしようもなく中途半端な状態をみた誰かが「美しい」と感じるかも知れない。
感性はそれ程までに自由で、混沌とした代物。
そうした自分の中身は、うまく形に落とし込めなくても良いから。
誰にも明け渡さずにいて欲しい。
それはあなただけが持つ美しい泥だから。