雨上夢路
私が生きる日常について。
christmas art 「Same season, somewhere else.」 挿絵の仕事とか欲しいなぁ。 https://www.instagram.com/p/CmQDIpLBbAl/?igshid=MDJmNzVkMjY=
#watercolorart #水彩画 #watercolorpainting #watercolor #アート #painting #drawing https://www.instagram.com/reel/CltOHsBhi-z/?igshid=MDJmNzVkMjY=
watery art 「 It will be fine. 」 https://www.instagram.com/p/ClVC1cmh4rf/?igshid=MDJmNzVkMjY=
夜の蜘蛛は地獄の遣いで、凶事を招くからよくないと言われるけどさ。 数時間しのげば朝が来るじゃん? 同じ蜘蛛が今度は、神様と呼ばれるの。 ただそこで生きてるだけなのにさ。
amagami c. https://www.instagram.com/amagami.c_art/
桜の満開も近い今日、ザラついた雨が降り続く。うちの小さいのが、花見に行くのを楽しみにしているもんで、ほどほどに頼みたい。 濡らしても良いけど散らさないように気をつけて欲しい。 長い長い冬を抜けて今なんだ。みんなもう、あまり泣かないで済むように、祭りを祭りとして楽しめるように、それぞれの大事なひとと笑えるように、そんなことを季節の移りかわりに期待してるんだよ。 桜の写真をたくさん撮りたい。同じ名をつけた猫が逝って、10年経った。桜の写真をたくさん撮るんだ。空の青をかすめな
誰が正しいとか悪だとか、どういった仕組みで進められてるのかとか、裏で糸を引いているのは誰だとか、どさくさに紛れて儲かっているのはどこだとか、どことどこが結託しているだとか、報道の真意とか、裏でもみ消して牛耳ってる奴がいるとか、どれだけのお金が動いたとか、次はおそらくこうなるとか、今年はこんなことが起こるとか、流行りのアレはただのソレだとか。 そこらじゅうにあふれているいろんな角度からの話は、ぜんぶぜんぶ曖昧で不透明で確実性に欠けるのに。 命だけが確実に消えていくのは何でだ
いじられた情報 飾られた想像が そこらじゅうを彩って 笑う声もどこか遠慮がちで 誰もが誰かを愛しつつ 3割減の酸素を吸いながら 大人しく狂ってく 大丈夫なふりを まともそうに見える芝居を 終いまで続けられるように ここで 誰も彼も大変そうだから 助けてなんて言えないし 助けるよとも言えないし とりあえず今、立っている 足場が崩れないように バランスとるのに精いっぱい それでも 声が消えた町にも 明日を諦めない人達がいて 命がつながるように 心が死なないように 今こ
誰かを自分よりちょっと下に見ることで、守れた気になるちゃちなプライドとか。 自分とは関係のない誰かが、自分とは関係ない誰かに謝罪している動画をついついチェックしてしまうこととか。 ここに居る必要性を突発的な事象に求めてみたり、何もしなかった今日について勝手に抱いた後ろめたさを、たまたま居合わせた誰かに許されたがったり。 そういうことを、人間はする。 弱くて、情けなくて、ずるい気持ちを、人間は持っている。 誰でもが、キレイじゃない。 いつもと空気の違う黒い夜に、人知
奇妙な出来事も、続けばそれが「日常」になる。 ****************************************************************** 退屈な日常から抜け出したかった少女の前に あり得ない光景が次々と広がっていく 大きくなったり小さくなったり 騙したり騙されたり 中身が何かもわからない薬やビスケットを平気で体にとりこみ 涙の海に溺れかけたりする ちっとも止まってくれやしないウサギは それでも視界のギリギリ端にず
これまで、自分は地球に住んでいるのだと疑わずに生きてきたけれど、ふと考えてみれば…実際にこの目で「地球」を見たことがない。 本当に、ここは地球なのか。 飛行機に乗ったら「地球っぽさ」を感じられるんだろうか?それとも船? ひょっとしたら自分は、地球に住んでいるのだと信じ込まされているだけで、本当は別の何でもない星に住んでいるんだったりして。 …だったとしてそれが何だ。 そして、ここはどこだ。 #地球 #考え事 #くだらない話 #ひとり言 #呟き #素朴な疑問 #que
新月前後数日間は、夜が黒くて怖い。暗闇に何かがいるような気がする。こんな夜に出遭うものはろくなもんじゃないから、夜道で誰かに話しかけられても、うっかり応えてはいけない。...なんてね。 なぜだか、ふと、自分が小学生の頃の記憶がよみがえってきたので、ちょっと書いてみようと思う。 苦手な方はUターン推奨。。。 私の言う小学生の頃というのは、おおよそ1994年頃から2000年頃くらいまでのあいだのことで、これから羅列するのはその頃の出来事。たくさんあるので詳細は省いて箇条書き
なんでTwitterには、3月11日の午後2時46分に、「黙祷」とツイートする人がいるのだろう。その瞬間に本当に黙祷していたらツイートなんて出来ないはずなのに。...と、毎年思う。 2011年の3月の話は、これまで何も話さずにいた。あの日も、あの日からも何もせずにいた自分なんかに、話せることは何もないと思っていたから。 今も、話せることはほとんどなくて、これは本当に情けないひとりの人間の記録です。
少しのあいだ、SNSから距離を置いていました。理由は幾つか、明確に。 そのいち、疲労。正直に言います、生活するので精一杯でした。用事が多くあったし、子育てしんどいなぁと思ってたし、なんだかね、何も喋る気になれなくて。体調面でも、目が突然、真っ赤になったり(結膜下出血というやつで、今も治ってない)ずっと怠さが抜けなかったりイライラしてたり。 そのに、Photoshopの勉強とコンペ出品。理由そのいちに翻弄されつつも、「なにかやらないとなにも進まないぞ精神」が働いていたので、
『白雪姫』の継母は、実母だったという説もあるらしい。(たしかグリム童話の初版) 世界で一番美しいのは誰?と事あるごとに鏡に聞いて、自分が一番だった時代にはとても満足していたのだろう...と、思うわけがなくて。 なぜなら、いつ、自分のではない名前が鏡から告げられるのかと、常に胸のうちにヒヤヒヤ不安を抱えていたんだろうと思うから。 「鏡」をのぞき込んだとき、映るのは自分だ。本来であれば。 鏡を自身の投影として見るとき、継母(実母)は衰えていく自身の容貌に向き合うことが出来