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共通言語を持つこと

共通言語があった方がいいなと思いながらも、いかにつくって広めるのかって難しいですよね。

でも、耳障りのいい言葉だけを使い続けて、物事を進めても、なんかこんな感じ?ってところから一歩も進むことができない。
だとしたら、一歩進むためにはやはり共通言語が必要なはず。

そんなことを思っているときに、共通言語をうまくつくり、社内外に広めているある組織を知った。

そこから学んだことを3点、ここに残しておきたいと思う。

まず、共通言語をつくるとき、やっぱり対話から始まるだろう。
だれかが押しつけた言語を皆が使うようにはならない。
とはいえ、対話をし続けて、共通言語が折衷案で微妙な感じになったり、ずっと決まらなかったりしたら、元も子もない。
そこで、必要なのは、対話をしたら、あとはだれかが責任を引き受けて、ひとまず叩き台をつくってしまおう。
そんなリーダーシップの発揮も必要である。
必ずしも皆が議論し続けて、納得する言葉をつくりあげるよりも、進むし、意外と納得もしやすくなったりする。
言語化しきれないけど、合意形成が取れている感覚があることを汲み取って、一人の人がやってしまった方が、意外と納得できる物になるのだ。

そして、そこで大事になるのは、広めたくなる言葉にすることである。
やっぱり人は面白くてユーモアがあってキャッチーな言葉を使いたくなる。なんだか小難しいことを人は言いたくはない。
それよりも「なんかわかる」言葉で、使いたい言葉にしてしまった方がいい。

最後に、その共通言語を使うコミュニティに入りたいと思わせる関係性を形成することである。
結局やっぱり人である。広めていくのは人であって、その輪に入りたいという動機付けは人しかつくりあげられない。
どれだけ魅力的でわかりやすく納得感のある言葉でも、なんか嫌なコミュニティがやっていては意味がない。
すてきな人たちがすてきな輪を広げていくしかないのだ。

共通言語を持つために、つくり広げていく過程において、必要なことはこんなことだろうか。


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